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 むろん、大人しく倒されるほど無駄に素直でも鈍くもない。
 瞬時に戦闘態勢に切り替えたラウルとボリスは、今度は4対2という状況で対峙する事となった。
 ラウルの剣がひとりの剣を弾く。鋭い音とともに木の後ろに回り込み、横合いからの一手を防ぐ。直後に屈み込み、低い姿勢からの足技。だがこれは臑を擦るにとどまった。
「ちっ……」
 舌打ちをしているのは第一隊の隊長、ディエゴだ。彼は最初から執拗にラウルばかりを狙っている。よほど、王都で受けた屈辱が忘れられないのだろう。
「しつこい男は、……嫌われる、よっ、と!」
 器用に左手に剣を持ち替え、右手を服の裾で拭う。そのままの状態で体を捻り、反動を持って切り込んだのはさすがに予想外だったのだろう。ディエゴは大きく後方へ倒れ込んだ。
「ぐっ、」
 呻き苦悶の表情を浮かべているが、追撃を躊躇う必要のある相手ではない。迷わず距離を詰めたラウルは、そのまま体重を乗せた足先でディエゴの顎を弾き、手首を蹴り上げた。
 剣が飛び、伸びた草をいくつも刈って木の根を抉る。
「貴様!」
 ディエゴの方は無言だ。強烈な一撃に気を失ったようである。ラウルは左手に剣を握ったまま、左に右にと新たな相手の猛攻を躱す。
「ちょこまかと……!」
 基本的に、相手の動きは大振りだ。そしてそれは、障害物の多い森の中では如何にも不利と言えるものだった。器用に倒木を飛び越え、木の枝を払い、ラウルはひたすらに逃げ続けた。挑発するまでもなく、相手は細かい怪我を負いながら彼へと迫る。
「逃げてばかりで、恥だと思わんのか!」
「全く、思わないね」
 卑怯者ほど、相手には正々堂々としたものを求めるらしい。棚に上げて、というにもお粗末だ。
 数分、十数分とラウルは延々と避け続けた。否、翻弄し続けたと言うべきか。相手の息は、今更攻撃を仕掛ける必要も無いほど上がってしまっている。
「くそ、この――」
 訓練と練兵場での模擬戦しかしたことのないような動きだ。木立そのものが敵と成ってしまっている。
 さすがに可哀想かとラウルが右手に剣を握り直した瞬間、飛来した石つぶてが相手の肩口を見事に強打した。その隙を見逃すはずもなく、ラウルは柄を相手の腹に叩き込む。
「うぐ」
 それまでの饒舌具合が嘘のように、呻き声は一秒にも満たなかった。やれやれと肩を竦め、ラウルは血の欠片もついていない剣を鞘にしまう。さすがに無傷というわけにはいかないが、行動を妨げるようなものはない。
「タイミングよすぎですよ。ボリスさん」
「それは悪かった」
 珍しく冗談を返すボリスは、さすがに薄らと汗をかいている。ラウルとは逆の方面で、残る二人を引きつけて倒して来たのだろう。かすり傷は負っているようだが、目立つ返り血などがないのはラウルと同じ結果を目論み達成したということに違いない。
「あー、ちょっと疲れました。手袋も破けちゃったし」
「……剣を振るとき、変な力が入ったせいだろう」
「そうなんですよね。まぁいいか。それより、この人たち、どうします?」
「放っておくのが一番だ」
「風邪引きますよ」
「それくらいは自業自得だ」
 反対に、下手に他へ報せて、更に恥をかかされたと逆恨みされる方が面倒というものだ。互いに黙っていれば誰に知られる事も無い。
 ――はず、だった。その、拍手が聞こえるまでは。
「なかなか、やるじゃないか」
「え」
 驚いたのは、ボリスも同じだったようである。ふたりは揃って音の方向へと顔を向け、そうして同じく目を見開いた。
「パオラさん?」
「うむ。久しぶりだな」
 尊大な口調だが、そこに滲んでいるのは親しみである。驚愕に引きつる顔に満足を覚えたのか、パオラは座っていたところから立ち上がると、悠然とした歩調でふたりの方へと進み寄った。
「なに、少しばかり用があって出たところだ。何やら戦っている様子があれば、見物するのも一興だろう」
 なにせ、娯楽がないからな、とパオラは笑う。
 対してラウルは、傍目にも引き攣ったとしか言えない社交辞令の笑みを浮かべた。
「あの、お久しぶりですが、――その」
「むろん、気にする事は無い。お前たちの事はイサーク・ラトから聞いている」
「え」
「何をどう聞いているかは言わんが、心配する必要は無い。悪いようにはしない」
 見なかった事にする、と断言するパオラだが、ラウルの方はというと、すぐに肩の力など抜ける訳も無かった。
「ああ、私に気づかなかったのは恥ではないぞ。多少なら体術の心得もある。あれだけ戦いに集中しておれば、思わぬ第三者に気づかぬのも不思議は無い」
「いや、隊長なら気づきそうかなー、なんて」
「隊長? ……ああ、あの男か。あれならそうかもしれんな」
「ところで、パオラさんはその、離宮の敷地から出ても大丈夫なんですか? 一応、その」
「刑に服しにきたわけだからな。だがこの閉鎖された場所は、なかなかに不思議なところでな。確かに一定区間から出る事はできないが、ある程度の自由は利く」
 権力者の椅子からたたき落とされた時点で、既に政敵の目的がほとんど達成されているため、――というわけではないだろう。考えるラウルの横でボリスが首を傾げれば、パオラはいたずらっぽく片目を瞑ってみせた。
「なに、簡単な事だ。私のようなものが多くやってくる。監視の奴らは出世の見込みの無い任務に憂いている。やりやすいように丸め込めば、後は楽な話だ。まぁ、王妃が来てしまった今は、どうなるかは判らんがな」
「国王が命じたんでしたよね。もう、離宮は完成しているのですか?」
「いいや、全然まだだな。私が言うのもなんだが、不思議な形をしている。居住スペースも、王妃の館は豪華とはいえ随分と狭い。予測だが、私たちの間では王妃の実家、つまり北の国から引き出していた援助、――いや、実際には王妃の名前を使った強奪か、が途切れたのではという話になっている」
「……それは」
「軍の備品が増やされているのは聞いた。だが軍隊の規模が拡張してるわけではない。即座に戦争にはならんだろうが、北方との交流が途絶えては、ますます孤立する事になるだろうな。王は、何を考えているのやら」
 物憂気なのは、パオラの中にまだ政治家としての感覚が大きく残っているためだろう。返り咲きを望んでいるというわけではなく、権力の座を下から見上げた状態で国を捉え、考えているという事か。
「即位から10周年、春を過ぎた頃に何やら動きがあるという情報もあるが、――どうなることか」
 ふ、と三人は揃って溜め息を吐く。だが、考えて何が判るというものではない。


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