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「また、――お引き取りください!」
 子供の域を脱し得ない、15、6の少女である。
「何度来ても――、……あれ?」
「こんにちは」
 愛想良くラウルが挨拶をすれば、少女は戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「ここは施療院で良いのかな?」
「え? あ、はい、そうですが……」
 勘違いに対する恥ずかしさよりも、見知らぬ者への動揺の方が強いようである。あなたは? と問いたげな視線に、ラウルはにっこりと笑みを浮かべた。
「用事があってこの辺りを通りがかったんだけど、少々怪我をしてしまって」
「え!? それなら中央の通りの方に……」
「そうなの? でも、ここでも薬くらいはもらえるでしょ? 今から向こうに行くのもなんだし、診てもらえないかな?」
 取って付けた理由ではあるが、全くの嘘という訳ではない。昨日の戦闘で、多少なりとも――アルベルトであれば舐めて治せと一刀両断される程度のものだが――怪我をしている。
 袖をまくって負った傷のひとつを見せれば、少女は言葉を詰まらせたようだった。
「それは、――確かにここは、施療院ですが」
 施療院とは、医師や薬師が常駐し治療及び薬を購入する事の出来る施設である。それなりの規模の町には存在するものであるが、むろん、どこまで何を行ってもらえるかは場所により様々だ。一般の住居と変わらぬ場所がそうであるとするなら、大きな病気の治療は望めないと見た方が良い。おそらくはここも、内科的にはせいぜい風邪や軽い腹痛の対処に当たる事が出来る程度だろう。
 言い淀んだ少女は、何度もラウルの顔と床に視線を彷徨わせた上で、ようやくのように口を開いた。
「今、原因不明の病気が流行っています。できれば、早くこの町から出てください」
 言い終わらぬうちに、ラウルとボリスは視線を交えた。やはり、という意味だ。
「こう言っちゃ悪いけど、ここの領主には報告は?」
「しましたが、……どうも、流行ってるのはこの界隈だけのようで」
「つまり、向こうの賑やかな方面は全くだと?」
「はい。このあたりの水が、悪いのかもしれません」
 症状は、強い食中毒のようなものだ。下痢、嘔吐、発熱、そして強い腹痛を訴え、数日のうちに亡くなる者も多いという。
「これまでに、そういうのが流行った事はある?」
「いえ。夏だとしても、流行るほどでは……。あの、ですから、やっぱり中央の方の薬屋に行った方がいいと思います」
「確かにそうだけど、――それにしては、最初、誰が来たと間違えたのかな?」
「え」
「なんだか、とてもしつこい誰かが来ているみたいだけど」
「あの、いえ、その……」
 慌てる少女に、ラウルは如何にも不思議そうな、どこか心配しているといった様子を滲ませながら首を傾げた。いつの間にやら完全に話がすり替わっている事には、少女は全く気づいてはいない。
「施療院という場所なのに、追い返すような言葉だったよね? 何かあったのかい?」
「その、あなたには申し訳ない事を……、いえ、旅の方にご心配おかけすることでは」
「だけど、――」
 更に言葉を重ねようとした瞬間、表で馬が鋭くいなないた。
「!?」
 ボリスが、いち早く外へ飛び出している。動揺する少女を落ち着かせてから後を追ったラウルはそこに、少女が言い淀む原因を見つけた。
「なんだぁ、なんだ、お前ら」
 どこからどうみても軍人崩れ、否、力ばかりを振りかざすたちの悪い軍人の見本というべきか。今時チンピラでも呆れるほどの柄の悪さを表に出しながら、男がひとり、ボリスの前に立っていた。
「僕らは怪我の治療にここに寄った旅の者です。その馬は僕たちのものです」
「……へぇ、そんなら、とっとと出てった方が身の為だぜ?」
「何故ですか?」
「ああ!? そこのガキに会ったんなら、聞いてるだろうが。たちの悪い病気が流行ってんだよ。伝染りたくなきゃ、出てけ」
「失礼ですが、あなたは?」
 失礼というよりは、全く話を聞いていないのと同じ態度である。だがそれに気づく事は無く、男は凶悪犯も逃げ出すほどの悪相でラウルに詰め寄った。
「俺が誰だろうが、てめぇにゃ関係ねぇだろうがよ! は、領主に睨まれたくなきゃ、とっとと町から出て行くことだな!」
「可笑しい話ですね。町の中心部は活気があるというのに、何故収入源になる旅人を追い出すんです?」
「んなこた、どうでもいいだろうが!」
 恐ろしく怖さを演出しているが、迫力も言葉の重さも、全くアルベルトには及ばない。悪魔のハリボテの中で聞き分けの無い子供が威嚇しているようだ、とラウルは内心で苦笑した。
「まるでこの施療院から離したいみたいですが、それで、あなたはどういった方で?」
 恐れる様子もなく再度問えば、男は顔を真っ赤にして髪を逆立てた。
「見たところ、領主の私兵といったようですが」
「止めてください!」
 突如割り込んだ声は高い。見れば、施療院の入り口を出てすぐのところから、先ほどの少女が走り出て来たところだった。
「旅の方は、どうかお引き取りを!」
「だけど、この人は、治療を必要とする客には見えないよ?」
「この人は、領主からの催促に来ている人です。――今は、病人がまだ多くてここを引き払う事はできないと言っているのですが」
「なるほど。つまり伝染病が発生してしまったので、領主としてはまだ広がっていない方面とここの者を離したいということか」
 さほど広くもない町、この近辺の閑散とした様子、覇気のない住民、流行病など、これまでの会話と状況を鑑みれば、導きだされるのは難しい話ではない。
「ここらの住民をどこかへ隔離したあと、この辺りをどうにかしたい、だけど君たちの方は今すぐに離れることはできない、というわけかな」
「そう、――ですが」
 言い、少女は人相の悪い男を見上げた。一時の怒りが行き場を無くしたような状態で顔をしかめているが、今にも噴火しそうな雰囲気からは若干落ち着きを見せている。ラウルの如何にも納得したというような様子に、我が意を得たという気分が加わったのだろう。
 反対に少女は、悔しそうに唇をかんでいる。
「ここの周辺の水か、環境が悪いのは判りますけど、私の父さんも町の人も、動けない人はたくさんいるんです。ですから、今日明日に出て行けというのは」
「いい加減、中心部の者も待ちきれない。いつ広まるか伝染るかとおびえているのだぞ!」
 男が、少女に向かって怒鳴る。
「ふん、――いいか、明日には必ず出て行ってもらう。それは領主からの決定だ」
「そんな!」


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