[]  [目次]  [



「散々待ってやっただろうが! 忘れるな。明日出て行かなければ、無理矢理にでもたたき出すからな!」
 言い捨て、男はすぐに背を向けた。領主の後ろ盾を得ているとは言え、彼はひとりだ。ラウルとボリスの体格や雰囲気から、さすがに分が悪いと判断したのだろう。或いは、威嚇にも一向に動じる様子の無いラウルを不気味に感じたのかもしれない。
 いずれにしても、小さな一難は去った、とラウルはふと息を吐く。
「あの、――あんなところを見せてすみません。馬、盗られなくて良かったです」
「余計なお世話だっただろうし、こちらこそ悪い事をしたかな。ごめんね?」
「いえ、ですが、やはり怪我の治療は後にして、今すぐここを去った方がいいと思います。伝染ると、危険ですから」
「それは、どうかな」
「え?」
 目を丸くする少女に、ラウルは笑う。だが、続きを口にしかけた彼に、ボリスが袖を引いて注意を促した。
「ああ、……いや、何でもないよ。今日は町の中心部の宿に泊まる事にするよ」
「そうしたほうがいいと思います」
「ありがとう。ああ、そうだ。君の名前は?」
「え?」
「王都の薬屋に知り合いが居るんだ。隔離された後も薬は必要になると思うし、何かよく効く薬を知ってるかもしれないしと思って。そのときに、紹介出来る人の名前がひつようだから」
「ですが、そんなことしてもらうわけには」
「君の為じゃないよ。今はここだけだけど、もしか国中に、いや、王都に広まったら大変な事になるから、そうなる前にと思ってだよ」
 基本的に、重篤な症状を出す流行病が国内に蔓延する事は無い。そのあたりは天災と同じ括りとして「神が守っていてくれる」のだろう。だが、局地的に同じ病気が広まった例はそれなりに多くある。
 王都に比較的近い町であることを強調すれば、少女は僅かに赤面して俯いた。
「そ、そうですよね」
 むろん、口からで任せ、その場限りの言葉と自覚して言ったラウルには、若干良心の痛むところである。
「私はソフィア・ヘントと言います。王都の腕のいい方を紹介していただけると、とても助かります。どうかお願いします」
「うん。それじゃ、また」
 にこりと笑い、ラウルは木から放した馬の手綱を引いた。男には激しい抵抗を見せた馬も、第二隊の面々には慣れたものだ。大人しく、後をついて歩き出す。
 しばらく無言のまま来た道を戻り、やがてもとの賑やかな通りへ戻った直後、ラウルはぴたりとその場で立ち止まった。
「どう思います?」
 言い、ちらりと後ろへ視線を走らせる。脇道から出てラウルの横に並んだボリスは、むっとしたように口を尖らせた。
「わざと、仕掛けた可能性がある」
「可能性があるなんてもんじゃないですよ。完全に真っ黒じゃないですか」
「だが、証拠は無い」
「おおありですよ! ただの伝染病なら、あんなに奇麗に局地的に流行る訳ないじゃないですか! それに、こっちの人はどう見ても、伝染病に慌てたりなんかしてませんよ!」
「声がでかい」
 数人が振り向き、うちひとりは気まずそうに去っていった。あきらかに、何か知っているような様子である。
「ほら」
「判ってる」
 要は、住民の大半を占める一般人を体よく追い出す為の方便なのだ。王都の強制退去は本当に全く隠すところもない強制だったが、こちらは搦め手を使っているらしい。さすがにただのいち領主では、そこまで強引な手に出る事は出来ないのだろう。加えて、追い出そうと試みているのはいつの間にか勝手に住み着いたという流れ者などではなく、町に住民として昔から住んでいる者たちなのだ。
 パオラの危惧は、最も悪い形で当たっていたというべきか。
「王都へすぐ戻りましょう」
「まぁ、夜には着くが」
「追い出す云々はともかく、薬は本当に手配しないとヤバいです。王都の薬屋の薬を買って来た方がいいと思います」
 王都に店を出すだけあって、さすがに品揃えは他の場所の追随を許さない。特効薬とは言わずとも、もしかすれば症状を緩和出来るものがあるかもしれないと、ラウルは鐙に足をかけた。
「明日の夕方までには戻ってきたいところですけど」
「ぎりぎり、だな」
 わかった、ということだろう。結構な強行軍となるが、人の命がかかっているのだ。悠長な事は言っていられない。村と村の流通に関する最終調整で、他のメンバーがこぞっていなくなっているという状況は、こうなると多少痛いところか。
 そうして王都へと馬を飛ばし、翌朝一番で薬をまとめて購入したふたりは、また同じ道を急行することとなった。


 幸い、人相の悪い男の捨て台詞は実現しなかった様子で、町外れの施療院は今も大勢の病人を抱えたままそこに残っていた。否、数名の私兵と見られる男たちが去っていった直後に訪れたと言うべきか。
「今日、立ち退きは無かったんですね」
 対応に出たソフィアに聞けば、話は一旦保留になったという。ただ何故そうなったのかという流れは、ソフィアには判らないようだった。無理も無い。対応出来る大人が軒並み病に倒れ、そうでないものも逃げ出してしまった現状で、年若い彼女はこれでも奮闘している方なのだ。
「それよりも、今日は?」
「ああ、――これを」
「お薬ですか!? ありがとうございます!」
 医師である――ただし今は病身の父親に使えそうかを聞くというソフィアに薬を全て渡し、ラウルは窓の外へと目をやった。
「何を話したのかは判りませんけど……いやにあっさりと引き上げてましたね」
 言い、眉を顰めながら唇を指で掻く。彼の低い声を聞くまでもなく、ボリスもまた思うところがあったのだろう。去っていく私兵の一隊を見つめながら、眉間の皺を深くしている。
「単に、一旦引き上げただけだといいが」
 間を置いて呟かれたボリスの言葉に、ラウルは頷いて目を細くした。
 ――そうして、その危惧は現実のものとなる。

 *

 夜半、妙なざわめきを感じ、ラウルは寝台から身を起こした。宿の室内は暗い。だが、一方の壁に設えられた窓が不自然に光を帯びている。
「……?」
 靴を履き、音を立てぬように窓際に寄れば、遠くの喧噪までが響いてくるようだった。一度振り返り、反対側にある窓が外の闇を映し出していることを確認しながら、一気にカーテンを横に引く。


[]  [目次]  [