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「……なんだ!?」
 窓から見渡せる町の一角、そこから激しい火の手が上がっている。濛々と立ち上る煙までがはっきりと判るほどだ。
 あそこは、と呟き目を見開き、無意識に心臓の辺りに手を伸ばす。そうして血の気の引く音をはっきりと聞きながら、ラウルは震える手を上着へと伸ばした。


 ラウルが現場に到着したとき、既に状況は手遅れの一言に尽きた。近寄ろうにも、熱風が不可視の壁となって行く手を阻む。
 それは先に来ていたボリスも同様で、やみくもに逃げ惑う近隣の住民を誘導することだけで精一杯といった様子だった。負傷者の救助よりも生存者の確保が優先となったのは致し方ないと言えよう。
「――ソフィアさん!」
「無理だ、先にこっちをなんとかすべきだ!」
 町の外れにある施療院は、今は炎の向こう側だ。どうにかして近づこうとするラウルを、ボリスが大声で止める。
 ラウルもまたそうした避難誘導と消火活動に従事し、最終的には未明に降り出した雨に助けられた形となって状況は収束へと向かうこととなった。
 そして、昼前。
 灰色の空と、それ以上に陰鬱な空気の漂う中、ラウルはボリスとふたりで焼け落ちた家の跡を回っていた。居るはずもない生存者を捜してしまうのは、心の均衡を保つためには仕方のないことだったのかも知れない。
「……なんで、こんなことに」
 ボリスは、応えない。否、応えないと判っていてラウルは同行者に彼を願ったのだ。
「酷い、酷すぎる」
「乾燥していた。失火かもしれない」
「立ち退きを迫られたすぐ後に!? 随分都合の良い失火ですね!」
 焼け残った梁から、ぽたりと雫が垂れる。
「そんなわけないじゃないですか、見たでしょう、ボリスさんも!」
「……」
「焼け残ってた家から、斬り殺された人が見つかってるんですよ! 炎が、刃物を持って人を襲ったって言うんですか!?」
「ラウル、よせ」
「これで、病気が広まる前に焼き払いましたとか言う気ですか!?」
「ラウル!」
「……っ」
 鋭い一喝に、ラウルはびくりと体を震わせた。
「あ……」
 我に返り周囲を見回せば、怯えた顔の人々が窺うようにラウルたちの方を向いている。
「……済みません」
「いや、気持ちは判る」
 だが大声に出せば、町の者に害が及ぶ。町の中心部に住む者全てが、選民思想に塗れている訳ではないのだ。同じく流行病の危険に曝されていた近隣の住民に混じり、ちらほらと身なりの良い町人が救護活動に当たっている姿も見受けられる。
 眉尻を下げ、ラウルは焼け落ちた施療院を見上げた。
 この中で、いったい何人の人が亡くなったのか。思えば、胸が重い。あるのは、後悔だ。そして悲しみと怒りと悔しさと罪悪感と。様々な感情がないまぜになったものが、ラウルの心を占拠する。
「こんな、……、なんで、こんなことに……」
 ――そう、呟いた時だ。
「おおい、こっちで誰か倒れてるぞ!」
「!?」
 施療院の跡よりも奥、城壁の際ぎりぎりの焼け残った民家のあたりで、人を呼ぶ声がした。ラウルをはじめ数人が一度に顔を上げ、救助に当たっていた者がいち早くその方へと走っていく。顔を見合わせ、ラウルとボリスもまた後に続いた。
「おい、判るか!?」
 呼びかける初老の男の後ろから覗き込み、ラウルはあ、と驚愕を声にする。
「ソフィアさん!?」
 ボリスもさすがに目を見開いている。避難している様子も救助活動をしている様子も無かった為、火に巻かれたものだと思っていたのだ。人目につかぬ離れた場所で、怪我を負って倒れているとはあまりにも予想外だ。
「斬られてる。襲われて、逃げたんだろう」
 ボリスの呟きに、ラウルは血の気の引いた顔で頷いた。おそらくは火の手の回る前に襲撃を受け、逃げる途中で気を失ったといったところか。
 服は雨と血に重く濡れ、顔は酷く青ざめている。
「出血は」
「止まってるな。だが、流れすぎてる。――おい、判るか? 聞こえてたら返事してくれ」
「う……」
 初老の男に抱え起こされ、ソフィアは小さく呻き声をあげた。
「ソフィアさん」
 呼びかけに、薄く目が開いた。意識はあるようだ。今すぐ安全な場所へ、と男は周囲で様子をうかがっている面々を見回した。
 だが、ラウルが手を伸ばそうとした直前に、ソフィアの頭が緩く左右に振られた。
「私、……病気、かもしれない。だから」
 町には運ぶな、と言いかけたのだろう。苦しそうに顔をしかめ、ソフィアは忙しなく呼吸を繰り返す。
 救護に駆けつけた人も、この言葉にはぎよっとしたようだった。僅かに身を引いて、距離をとる。中には数人、さっと逃げ出すものもいた。そのあからさまな態度にはまた別の者が批難の視線を向けていたが、ある意味、無理も無い事とも言える。
 だがラウルは、彼女の真意は別にある、と思った。自身に病の兆候があったのなら、そもそも昨日の夕方にラウルたちが訪れたときに近づくなと拒絶していただろう。だがそんな様子は見られなかった。
「ボリスさん」
 ラウルの訴えるような視線に、ボリスはすぐに頷いて同意を示した。それを確認し、ラウルは一歩前へ進み出る。
「良ければ僕が、別の場所に運びます」
「お前は?」
「昨日、施療院に薬を届けに来た者です。この近辺に住んでいるわけではないので、お役に立てると思います」
 今は助け合っているが、近隣の住民たちは自分たちもまた被害者といった状態だ。一時の急場が過ぎれば、他人に構っていられる余裕はなくなるだろう。
 若干の不審な気持ちはあったとしても、ひとりでも要救助者が他人の手に委ねられると思えば提案に乗ってくるはずだ。そうしたラウルの予測は、外れることなく現実となった。
 住民たちの見守る中、ボリスが馬を引き、ラウルはその上にソフィアを乗せた。落ちないようにとそれぞれの体幹を幅の広い紐で固定し、毛布をかける。
「とりあえず、次の町に向かってみようと思うんですが」
「それがいいだろう」
 同意を得、住民たちに見送られながら城門へと向かう。ラウルの馬に乗せていた荷物はボリスの方へとまとめられ、それぞれが手綱を引いての道のりだ。狭い町とはいえ、それなりに時間はかかる。


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