[]  [目次]  [



 町の中心部に向かうにつれ、送られる視線は奇異のものへと変じていった。中にはあからさまに顔をしかめている者も居る。何事、というよりは、華やかな表通りの裏で起こっていた事を知った上での反応なのだろう。
「腐ってる」
 少しでも人を思う感覚のある者は、既に火事を知って駆けつけている。ここに残り仕事に従じるわけでもなく眉を顰めて見やる者はと思えば、ラウルの心中に澱がたまっていくようだった。
「その、最も腐ったのがいるな」
「え」
 ボリスの珍しくも怒りのにじみ出た声に顔を上げれば、果たして、城門の向こうに待ち受ける者が居た。
 例の、人相の悪い男である。
「――よぉ」
 妙に親し気に、粘つく声にラウルは顔をしかめた。
「悪いが、引き返してその死に損ないをどぶに捨てて来てくれるか?」
「断る」
「そりゃ困る。他の町に病気を拡散させないために必要な事なんだがなぁ」
 勝手に困ってろと内心で罵声を飛ばしつつ、ラウルは男の前を通り過ぎた。
「待てよ」
 言うや、後方で鞘の鳴る音が響く。
 慌てて振り返ったラウルの目の前には、既に刃物が迫っていた。
「っ!」
「ラウル!」
 即座に飛び退いたラウル。馬の手綱を捨て割って入ったボリス。いずれもが一瞬の差で遅きに失したのだろう。
 小さく飛び散った鮮血は、間を置かず雫となって石畳の上にこぼれ落ちる。腕を押さえ、ラウルは小さくうめき声を上げた。
「ちっ」
 忌々し気な舌打ちに、金属音が重なる。続く男の攻撃をボリスが受け止めたのだ。痛みに息を詰めながら、ラウルは必死に手綱を握りしめた。馬は明らかに興奮しているが、今のところ暴れだす様子は無い。
「行け!」
 今のうちに、とボリスが叫ぶ。
 苦痛を押して頷き、ラウルは馬を促して雨の降り出した道を走り去った。

 *

 細かい雨の中、田畑の狭いあぜ道を選んだのは、人目を避けての事だ。城門で待ち受けていた男の様子からすれば、次に繋がる町に都合の悪い情報が伝わっている事はもはや確定に近い。
 わざわざその方へ向かい拒絶されるくらいならと、ラウルは山道へと進む。これもまた一か八かの賭けになるが、少なくとも離宮には、話せば判る人物がいる事も確かだった。情報の提供を求めていた手前、無視される事は無いだろうという目論みもある。
「ソフィア、起きてる?」
 返事は無い。だが身動きをする気配があった。
「……町では治療されたくなかった、で合ってたかな?」
 こくり、と首が縦に揺れる。
「斬りかかってきたのは、やっぱりあの男だった?」
 またも肯定。
 やはり、とラウルは顔を歪めた。ソフィアは病気の拡散を懸念して、町の中心に運ばれる事を拒絶したわけではなかったのだ。勿論、そういった気持ちもあったからこそ、咄嗟に言い訳として出て来たことも確かではあるだろう。
 だが、それよりも何よりも、ソフィアは城門であった通り、再び消される可能性を恐れた。なにせ領主は、流行病というもっともらしい理由をつけて町人を追い出す事を目論むような人間だ。お粗末で残酷な策の証拠は、確実に消そうとしてくるだろう。ここ数日関わった程度のラウルにすら、すぐに予想出来る事だ。
 城門でも「病気の拡散を止める為に」という理由をわざわざ大声で宣言させたところを思い出しても、できるだけ後々責められるような瑕を残さずに良き領主として対応しただけという体面を保ちたいのだということがよくわかる。
「くそ……」
 何も出来ない身を、これほど憎んだことはない。否、敗北感と喪失感で言えば、セルジが死んだと聞かされたときの方が上だっただろう。だがそうした思いと、これまでに感じて来た権力に対する理不尽な思いがどんどんと胸に積み上り、今ついに堤防を超えたという感じがした。
「ごめんな」
 言葉が、こぼれ落ちる。
「ごめん、ごめんな、僕が無力だったばかりに」
 何もできない自分に嫌気がさす。こうなることは、予測できたはずだ。選民思想に塗れた権力者達の際限ない欲と残虐さを、知らなかったわけではない。
(――僕が、自由に権力を揮えたなら)
 こんな未来には、させなかったのにと、そういう思いがある。
 だが果たして、貴族というあからさまな敵を一掃すれば、皆は自由に思うままに生きる事が出来るのだろうか。
 考え、ラウルは力なく首を横に振った。その結論は、もう出ている。――第二隊で頑張っていこうと決めた時点で既に決めているのだ。
「……だけど」
 呟き、直後、ラウルははっとして身構えた。
 いつの間にか、近くに誰かが来ている。
「誰だ!」
 怪我を負った左腕を無意識に庇いつつ、ラウルは剣の柄へと手を伸ばす。慣れた馬は、その雰囲気を感じ取り数度足踏みをして立ち止まった。
 緊張の走る数秒、だが相手は意外にもあっさりと姿を現した。
「――何者だ」
 誰何に、深く被られたフードから雨雫が垂れ落ちる。見える範囲に武器は携帯していないようだが、動きには如何にも隙がない。
「馬車を待たせています。こちらへ」
 言葉に、ラウルは目を見開いた。背の高い女だ。低めの声には、パオラとはまた違った硬い響きがある。
「こんなところ何故、と言いたそうですね」
「……」
「町にいた者が、事態を報せてくれました。さすがに、一応は受刑者であるパオラどのを出す訳にはいきませんので」
 女の言葉に、ラウルはソフィアが病気の事を告げたときに逃げ出した数人を思い出した。領主側に報せに行ったものばかりと思っていたが、パオラの言っていた、件の賊のひとりが含まれていたのだろう。若干行動が早過ぎる、という思いはあるが、道を知り尽くしたものであれば、速度のでないラウルたちを追い越していく事くらいは十分可能な話である。
 そうと理解しつつ、しかし警戒を解かないラウルに、女は笑ったようだった。
「こんなところで立っていても、何も解決はしませんよ」
「判ってる」
 顔をしかめながら呟くラウルに、女はもう一度口端を曲げた。
 そうして、おもむろにフードを取り払う。
「では。来なさい。――安全は、私、王妃エレアノールの名で保証します」


[]  [目次]  [