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 8.


 結局、ソフィアは死んだ。
 ――結局の所、その要因は明らかではない。
 初めに、「流行病」があった。そしてその為に精神的に疲弊し肉体的にも疲労を重ねた。その後に負った怪我は致命傷ではなく、流した血も多くはあったが死に直結するほどではなかった。そして夜が明けるまで雨に打たれていた体は風邪を呼び肺炎へと移行し、最後に「流行病」が発症して、眠るように息を引き取った。
 どれが悪かったと言われれば、全てとしか言いようがない。ただやはり最初の一歩は作られた「流行病」であり、卑怯な手をとった領主の責任といえるだろう。
 そう。「流行病」は、施療院及びその近辺の建物の焼失後にあっさりと収束したのだ。原因となった一帯が火により浄化されたと領主は公表しているようだが、子供だましにもほどがあるというものだろう。狙ったようにひとつの区画に住む者だけが発症し、全てが息絶えた後他の者は一切無事のままというのは、おとぎ話であってもあり得ないような都合のいい展開だ。
 原因、もしくは毒が仕込まれたと思われる井戸は火事の直後に埋められ、死体は焼かれ、地区は閉鎖され、そうして全ては闇に葬られた。やがてはその地も均され、罪の埋まった土の上に瀟洒な別荘が建てられることとなるだろう。
 調査の後、詳細を知ったパオラたちは、しかしどうすることも出来なかった。所詮権力の座から叩き落とされた側に過ぎないのだ。再起への意志はあれど、今の彼女たちの声は、王都の高いところにはおろか、領主の元にすら届かない。王妃は、――王妃と名乗った女もまた、同じだ。王宮から遠く離れた土地に追いやられた時点で、何もかもを奪われている。
「助けたのは、同情です。私たちは、事を荒立てるわけにはいきません」
 ただひっそりと時機を窺い、耐えて過ごす。そういう集団だ。
 離宮の片隅で治療を受け、辿り着いた3日後にソフィアの死を看取ったラウルは終始無言のまま、ひとりで離宮の門をくぐり去った。来たときと同じような霧雨の中、煙る視界にふと人が映る。
「ラウル」
 低く重い、久しぶりの声だ。ゆっくりと顔を上げ、ラウルは目を細めた。
「隊長さんに迎えに来てもらえるなんて、恐縮です」
「莫迦」
 顔を顰め、アルベルトはラウルを小突く。
「怪我はもういいのか」
「はい。――僕のは、かすり傷です」
 傷は既に塞がっている。ただ、痛いだけだ。
「それより、ボリスさんは……」
「あいつのもただのかすり傷だ。カルロスと同じで、あいつも逃げるのは上手い」
 笑うところだろうか。無理矢理に頬を上げ、ラウルはアルベルトの横に並んだ。柔らかい土の上に、蹄の跡が重なっていく。
「パオラどのが謝っていたぞ」
「何故です?」
「余計なことを頼んだばかりに、お前に辛い思いをさせてしまったとな」
「……それは、違います」
「そうか」
「はい。僕が居ても居なくても同じ事で、ただ、それが知らないところで起こっていたと言うだけで、結果として全ては上が決めてしまったら覆しようのないということで――」
「ラウル」
 息継ぎもせず言葉を連ねるラウルを、アルベルトが静かに止める。
「お前に出来ることは限られてる」
「……はい」
「その通りだ。お前が居ようと居まいと、大きな結果は変わらなかっただろう。火事は起きたし、女の子も死んだだろう」
 はっきりと肯定し、アルベルトはふとため息を吐く。
「だが、それなら、出会ったその日に全ての住民を無理矢理避難させておけば良かったと思うか? それは結果論だ。悲劇的な結果を見たからこそ、ああしておけば良かった、こうしておけばと考える。そんなもん、未来が判らん以上、どうしようもない」
「そう、でしょうか」
「未来にこうなるから、素直に出て行けとでも言うのか? それのどこが、貴族どもと違うって言うんだ? あいつらは私欲のために民を迫害する。お前は皆のために苦しい選択肢を強要する。どっちも、やってることは同じなんだよ」
 それはかつて、ラウルも思ったことだ。第二隊の活動は、起こる被害を最小限にするためとしているが、傍目には貴族の言うがままに従い民を追い詰めているのと同じなのである。ただ、深く入り込めば親身に考えていることが伝えられる、それだけだ。
「どうなるのか判らんから、俺たちは足掻く。足掻ける。未来が決まっているんなら、それを知ることが出来るなら、それはそれで辛いことなんだろうさ」
「辛い?」
「回避できない未来があったとして、俺は何とかしようと足掻く。それでも、出来ることは限られてる。誰だって同じだ」
「……」
「何もかも救う事なんてできはしねぇ」
 言い、アルベルトは自らの手を見つめた。
「ただ俺は、懸命に何かを良くしようと頑張ることは無駄ではないと思ってる。お前がここに連れてきた女の子は、『殺された』ではなく『死んだ』んだ。その違いは、お前の方がよくわかってるはずだがな」
 アルベルトの言葉は難しい。言葉の奥に、彼の経験やそこから来る観念が潜んでいるからだろう。まだ若輩者と言った方がいいラウルには、彼のように考えることは出来ない。考えや思いを言葉にすることが出来ない。
 ただアルベルトが、慰めているわけではないことは判った。
 彼は、叱っている。目の前の悲劇を止めることが出来なかったと嘆き、そこに追い込んだ者達を憎むラウルを傲慢だと罵っている。ただそうして、そこまで背負い込む必要はないのだと諭しているのだ。
「……済みません」
 呟き、ラウルは声を震わせた。アルベルトはただ頷き、前を向く。
 その後落ちた沈黙の中、ラウルは薄い灰色の空を見上げた。柔らかい雨が、頬を包んで首筋へと落ちていく。
 まるで涙雨だと、そう思った。

 *

 そうしてそれからひと月、ふた月と過ぎ、季節は春を経て夏へ、夏を経て秋へと流れていった。
 特別機動隊第二隊の仕事は、殆ど変わっていない。国王、またはその取り巻きから下ろされる、くだらない、だが迷惑極まりない任務をこなす傍ら、村と村を繋ぐ道を強化していく日々である。問題やもめ事には事を欠かなかったが、過ぎてしまえばそれもいい思い出だ。
 国を縦断する河の周辺、肥沃な平地が黄金に染まる頃には、村々を巡る隊商は機動隊の手を離れ、村人達の主導で行われるようになっていた。


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