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 9.


 秋の空は高い。ひたすらに眩しく白かった陽光はその勢いを収め、柔らかく大地を照らす。
 収穫の済んだ畑を見下ろしながら、ラウルとアルベルト、そしてフェレは山道をゆっくりと歩いていた。
「長閑ですねぇ」
 呟いたのはラウルだ。このところ、国王の即位10周年記念式典へ向けて権力者達が走り回っている為か、嫌がらせに近い任務は激減している。少しでも高い地位にと、貴族達の間で根回しと落とし合いが続いているのだろう。
 身分制度発足の是非についての論争は、既にブランカフォルト側、つまりは選民意識に塗れた専制政治推進派の勝利で決着がついている。理由は単純だ。国王の勅命が下ったためである。そうして記念式典を前にブランカフォルト家の当主は「副王」の地位に就いた。
 国王は神として君臨し、世俗のことは代理人たる副王に任せるという構図ができあがってしまっている。決定が覆ることは、――ない。
「もう、いっそ逃げます?」
 穏やかな光に目を細めながら、ラウルは隣を歩く偉丈夫を見上げた。
「あー、いいかも知れませんね。逃げましょうよ」
「は?」
「こんな国なんか棄てて、どこか新天地を探しましょうよ。希望する人全員連れて、新しい国を作りましょうよ」
「莫迦言え」
 呆れたような声に、ラウルは頬を膨らませた。それを見てアルベルトが彼の額を指で弾く。
「どこにそんな土地があるってんだ」
「隊長さんなら、戦って奪えそうですよねー」
「俺にそんな甲斐性はねぇよ」
「へぇ」
 額を押さえたまま、ラウルは不敵に笑う。
「誰かが先導してくれるなら、それもいいかなぁとか考えました?」
「思うか。んなこと言い出すなら、やれるもんなら、お前がやれ」
「僕は無理ですよー。見かけからして迫力ないじゃないですか。その点、隊長が俺に付いてこい! とか言い切ったら、よろめいてそのまま付いていっちゃうなぁ」
「妄想も大概にしろ」
「そうですか? 僕もよろめくと思いますよ。隊長なら皆を引っ張っていける気がするのですけど」
 話に乗ってきたのはフェレで、その声には冗談に終わらせることの出来ない本気の微粒子が含まれている。
 むっとして口を尖らせたのはアルベルトだ。年少組の部下ふたりに挟まれ、彼は不機嫌そうな声を出した。
「ラウル、お前、大人しかったお前はどこにいったんだ」
「え。僕、いつも大人しいじゃないですか」
「どの口が言う」
 呆れたようにアルベルトが頭振れば、フェレはくすくすと笑ってふたりを眺めやる。
 半年ほど落ち込んでいたラウルは、徴税から戻った後には元の調子を取り戻していた。開拓地でどんな遣り取りをしたのかは、アルベルト以外には知らせていない。フェレたちは詳細を知らぬまでも、純粋に元気になったことを喜んでいる様子である。
 お人好しだな、とラウルは改めて思う。初対面の時に感じた印象は、今でも殆ど変わりがない。
「隊長さんは、思ってたより口が悪かったけど……」
「あぁ? 喧嘩売ってんのか」
「うわぁ、いえいえ、とんでもございません! えーと、その、し、式典まであと少しですねぇ」
「わざとらしいにもほどがあるが、……まぁいい」
 顔を顰めてはいるが、アルベルトも自分が中心になった話を続ける気はないのだろう。ラウルの無理矢理の話題転換に乗る形で頷いた。
「僕たちの当日の任務なんかはないんですか?」
「さてな。あるならそろそろ、イサークが持ってくると思うが」
「どっちにしても、ろくでもない任務でしょうけどね」
「……否定できねぇのが、アレだな」
 苦笑混じりに、アルベルトは遠くへ目を向ける。果たして式典の後、特別機動隊第二隊はどうなるのかと気を揉んでいるのだろう。
 物憂げな様子に、ラウルは彼の背を叩いた。
「大丈夫ですよ、隊長さん。なんとかなりますって」
「……お前に言われると、なんだかな」
「酷っ!」
「まぁまぁ」
「そんで、お前は日和見過ぎる」
「あらら、矛先がこっちにきましたか」
 勿論、全ては単なる言葉遊びである。特に何かに追われるわけでもなく、目的地へ向かう行程をのんびりと楽しめることは珍しいのだ。先に出ていったカルロスとボリスなどは携帯食ではなく遊びにでも出かけるような弁当を準備していたくらいである。
 どうせ数日後には雑務に忙殺されるようになるのだ。最後の息抜きくらいは許されるだろう。
 そうして喋りながら進むことしばし、目的地を目前にした三人は、相手が既に待ち受けていることに気付き、道の最後を走って進むこととなった。
「すまない」
「いえ、こちらが早く着いただけですので」
 笑って手を横に振っているのは、エンリケである。
「それに、今日はこちらがお呼びさせていただいたのですから」
「いや。――それより、皆の意見はまとまったか?」
「はい。やはり、逃げることはしないそうです。どんなことが起ころうとも、今度は立ち向かうということになりました」
 アルベルトが、エンリケを通じて王都から避難した民に問うていたのは今後の進退である。この先、身分制度が出来てしまえば、彼らは間違いなく三等民、もしくは奴隷へと定められることとなるだろう。いずれにしても、明るい未来はあり得ない。
 イサークがもたらした情報を、アルベルトはエンリケたちにだけ流すこととした。村に定住しているものや開拓民は、なんだかんだと言いつつ住む土地も生活する手段も持ち合わせている。だが、避難民だけは別だ。
 彼らが一等民と名乗る同国民によって蹂躙されることは、火を見るよりも明らかだった。故にアルベルトは、国外への逃亡を勧めていたのである。
「いろいろと手配していただいてありがとうございます。ですが、先日お伝えした女性や子供達以外は皆、ここで戦うことを希望しました」
「……いや、それなら、いい」
 アルベルトは危惧を抱きながらも、ひっそりと笑う。権力者達の横暴はもはや、民達に神話を否定させるところまで追い詰めている。それが判るのだ。
 誰もいない山の中でその決断を聞くこととなったのは、それが生中な覚悟ではないからだろう。
「エンリケさん」
「なんだい?」


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