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「天罰は、恐れませんか?」
 言葉に一度瞬き、しかしすぐにエンリケはラウルと最後にあったときの会話を思い出したようだった。
 わずかに気まずそうに身じろぎ、垂れた髪を耳に掛ける。
「正直、天罰は恐いよ」
「……」
「だけど、こうして村と村を繋ぐ作業をしてると、思う事もある。あんなに貴族の者たちを畏れていたのに、今は不思議と、どうでもいいとも思えるんだ」
 苦笑。だが、表情はどこかすっきりとしている。
「諦める事は楽だね。だけど、他に世界がある事を忘れさせてしまう。本当は我慢しなくても何とでもなることもあるし、それで見えてくる事もあるのにな」
「セルジさんのことは……」
「今、セルジが死んだあの現場に戻るなら、多分私は調査に来た奴らに食って掛かってるだろうね。それできっと、罰を受ける事になるんだろう。でも不思議と、それを後悔しない気がする」
 エンリケの言葉に、ラウルは目を細めた。口元に自然な微笑が浮かぶ。
「無駄死にを、推奨してるわけじゃねぇぞ」
「……隊長さんは、もう少し空気を読むべきですよね」
 横やりをいれたアルベルトに、ラウルは裏拳を返した。じんわりと心の底を暖かくするような雰囲気が台無しである。フェレはただ楽しそうに笑っていた。
「やれやれ、俺ぁ悪者かよ」
「魔王的な雰囲気漂ってますモンねぇ」
「てめぇ、言うじゃねぇか」
「いえいえ。隊長さんなら、やっぱり皆を傅かせる雰囲気持ってるって事ですよ」
「……何の話ですか」
 急に変わった話題について行けず、エンリケがきょとんとした顔で問う。
「隊長が『俺に付いてこい』と言ったら、なんとなくふらふらーっとそのまま付いていきそうだなという話です」
「おい」
「エンリケさんもどうです? 今なら隊長さんの親衛隊、ナンバー6から空いてますよ?」
「黙れや、コラ!」
「怖いけど、根は部下想いです。無精髭を剃ってちゃんとすれば、結構ハンサムですよ? どうですか?」
 もはや、何の話だというレベルを超した内輪の会話である。だが三人の掛け合いに目を丸くした後、エンリケは可笑しそうに小さく噴き出したようだった。
「でしたら、自分も是非ついて行きたいですね」
 珍しい人物からの冗談に、一瞬の間。
 そうして、お前まで、とアルベルトが額を手で押さえ、ラウルとフェレは揃って笑い声を上げた。

 *

 数日後、即位10周年記念式典当日。
 朝から第二隊の詰め所は騒然としていた。棚の物は小さな机に積み上げられ、引き出しは空けられたままで直されることもなく、床は足の踏み場もないといった有様である。
 物盗りに荒らされたような状況に、ラウルは奇妙な既視感を感じていた。ただ違うのはそこにカルロスの姿はなく代わりにイサークが立っていたこと、そして彼の表情が殊の外厳しいところだろうか。
「ラウル、急ぎ任務です」
「は、はい」
「王都内をまわり、第一隊より先に住民を避難させなさい」
「……どういうことですか」
「貴族の館だけでなく、王都の全住民にも触れが出ました。簡単に言えば、本日王都に残っている場合、身分制度に賛成をするという意思表示となるというものです」
「それは」
「度重なる反対派の反抗意志に、『副王』がついに激怒して宣言したそうですよ」
「副王……」
「自分に従わない者は王都から出て行けということのようです。人の消えた都が、王都なものですか。もう、ここまでくると病気ですね」
 しかも、かなり膿んでいる。そう呟くイサークは、いつもにまして辛辣だ。
 ラウルは唇を引き結び、目を眇めた。何故、どうして、などという時期は過ぎている。莫迦な施策が続くのなら、自分たちはそれに乗るだけだ。
「先輩方は」
「アルベルトは主に貴族の屋敷が並ぶ辺りに。下働きの者たちの誘導をするそうです。あとはカルロスが商業区に。他のふたりはまだ来ていません」
「わかりました」
 今日が正念場か、とラウルは手に汗を滲ませた。
 ――これまでの集大成が今日にある。
「何があるか判りません。ここにあるものは何でも持っていってください」
 言われ、ラウルは改めて室内の乱雑さに目を向けることとなった。前にも思ったことだが、いくら奥に仕舞っているものを取り出すにしても、ここまで荒らす必要はないだろう。
 その胡乱気な視線に気付いたか、イサークは硬い表情を僅かに緩め、口に手を当てた。
「……アルベルトはまぁ、片付けが苦手ですので」
 なるほど、大きな欠点もあったものだとラウルは苦笑した。


 ラウルが真っ先に向かった先は、一番近い元東区だ。既に住民たちが追い出されている地区ではあるが、そうと知らずにここ半年の間に勝手に住み着いている者や、天幕での生活に耐えられずに戻ってきてしまっている者が居る。貴族たちは、そこまでは関与しない。区画整理の時に家を壊すとして、人が残っていたとしても構いはしないのだ。現にそうして、壊された幾つかの家の中から死体も発見されている。
 先に向かった東区で数十人、身の振り方も判らずに不安そうに話し合っている者達を見つけ、ラウルは大声を上げた。
「何やってるんですか、あなた方、身分制度に賛成する気ですか!?」
「なんだ、お前は……」
「僕のことはどうでもいいです。それより、あなた方はどうするんですか」
「どうって、……どうせここに居ても出て行っても、所詮は俺たちは奴隷になるんだろ。一緒じゃねぇか」
「ですが、ここに居れば逃げられませんよ」
「出て行っても行く場所なんかねぇし……」
「天幕の生活だって、何の保障もないじゃない」
「それに、ここに残ってたら、二等民になれるかもしれないだろ?」
「どういうことです?」
「反抗したら奴隷民だ、大人しく従っていい印象与えておいたら、優遇してもらえるかも知れないだろ?」
 言葉に、ラウルは表情をなくした。
 堤防を作った村で会った青年のことを思い出す。
「……つまり、貴族、いえ、一等民に優しく飼われたいってことですね」


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