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「出遅れたからお前が来ているとは思ってたが、……まったく」
「ええと、その、なりゆきです」
「成り行きで腹黒い子供を育てる気か」
「やだな。生活の知恵ですよ。これからは尚更、賢く立ち回らなきゃ」
「……ああいえば、こういう……」
 困ったように笑いながら、ボリスは腰に手を当てた。
「まぁいい。ここらは俺の方が知り合いが多いし勝手も判る。お前は商業区を回ってくれ」
「え、そこはカルロスさんが向かったのでは?」
「貴族の奴らが商人の財産を狙ってうろうろしてる。ひとりじゃ手に負えんだろう」
 商人と言えど、全てが貴族に与しているわけではない。王都が町として機能しているからには、当然良心的な店も多くある。おそらく、彼らは王都の外へと出るだろう。
 問題となるのは、出る際に持っていくこととなる財産だ。彼らを王都に残し、その後に三等民に身分を設定し財産を奪う方が、貴族にとっては得なのだ。故に今頃、甘言を尽くして王都に残るように言い含めていること想像に難くない。
「確かに、ひとりじゃ無理ですね」
「甘い言葉に負けて残る奴は知らん。だが、逃げたいのにしつこくされている奴らは助けてやれ」
 ボリスは口下手だ。貴族達の言い回しに勝てるほど舌の回りは早くない。アルベルトほどの威圧感があれば相手が勝手に負けてもくれるが、彼の印象はあくまで頑固で真面目で実直といったものだ。
 まだしも、ラウルに任せた方がましと考えたのだろう。
「了解しました」
 ラウルはしゃちほこばった礼をとり、そうして西区を後にした。


 途中、もともと市が開かれていた場所を通りがかる。荷物を抱えて歩き回る者、それを眺めて嗤っている者、さまざまだ。さすがにここでは、あれこれと悩み相談している姿は見かけない。
 と、その人混みの中にラウルは見知った姿を見つけて立ち止まった。
 相手も気づき、目を丸くする。
「ラウル?」
 フェレだ。王都の南の方を移動する際は必ず通る場所であるため、そこで彼と会ったのは稀な偶然というわけでもないだろう。額に滲む汗を拭いながら、彼はラウルの方へと走り寄ってきた。
「ラウルは今までどこに?」
「もと東区と西区を回ってきました。今はボリスさんがそのあたりに」
「そう? 僕はこのあたりを回ってきたんだけど、ちらほら、第一隊の顔を見かけるね。近衛の奴らも何故かちらほら。気をつけて」
「……近衛? 何をしに来てるんです?」
「さぁ。なんか捜してるみたいだったけど」
 普段近衛兵は王宮から出てくることはない。守るべき王族が基本的にそこから出ないからだ。どういうことかと首を傾げたフェレに続きラウルも腕を組む。
「まぁ、いいか。僕たちに関係はないしね」
「あんまり遭遇したくはないですけど。彼らも貴族ですし」
「そうだね。……あ、そうだ」
 苦笑したフェレは、そこで何かを思い出したようにポケットへと手を入れた。
「ラウル、手」
「え?」
「忘れたの? 今日でラウルも隊員生活一年だよ」
「あ、……そう、ですね。そうでした」
 頷いたラウルの掌に、フェレは小さな金属を置く。何と見れば、それには特別機動隊の紋が彫られていた。
「隊章だよ。見習い期間が終わったら渡されるものだけどね」
 正式入隊おめでとう、とフェレは笑う。見習い期間終了後は、ひとつ上の入隊者が祝いとしてそれを贈る慣習とのことだ。兄貴分として面倒を見てやれ、という意味なのだろう。
 突然のことに、ラウルは当然驚き、動揺している。
 ――忘れていた。
 それにしても、ここへきてこれは、ない。
 嬉しさと別の感情が、ラウルの胸に押し寄せる。
「……僕も」
 ややあって目を細め、彼は掌の小さな金属を転がした。
「第二隊のメンバーになれましたか?」
「あれだけ周りにやきもきさせておいて、何を言っているんだか」
「……すみません」
「それに、少なくとも僕は、ラウルの影響を受けてしまったし」
「え」
「この国には期待できない、地道に頑張る以外は何も出来ないって思ってたんだけど。いろんなことに首を突っ込みすぎて、なんだかいろいろやれるんじゃないかって、思うようにさせられた感じだよ」
 むろん、フェレは責めているわけではない。ただそれほどにラウルが、既に仲間達の間に入り込んでしまっていると伝えたいのだろう。
 赤面して俯いたラウルに、フェレは楽しそうな声を上げた。
「一段落したら、歓迎会でも開かないとね」
「ええ!?」
「そんなに驚くことかな。まぁ、いいか。何か芸をしてもらうから、考えておいてね」
「え、ちょ、僕がですか!?」
「新人の宿命だよ」
 にやりと口端を曲げ、フェレはラウルの背を叩くように押した。
「さて、その前にひと仕事あるからね。また、後で」
 はい、と返事を返す間もなくフェレは後ろ手に振って去っていった。忙しいと言えばそうだが、もう少し感傷に浸らせてくれても、とラウルは肩を落とす。
 そうしてもう一度隊章を手の中で揺らし、彼は静かにそれを握りしめた。


 商業区は他とは違った喧噪の中にある。
 黙々と荷物を背負い去っていく者、荷台に商品を積み上げる者、訪れた貴族に手を揉む者、そして、庇護下に入るように説得する者、だ。
 どうしたものかと迷い、ラウルは向かった先は薬屋だ。施療院の一件で世話になったこともあり、どうしているかと気になったのだ。さほど大きな店ではなかったため、逃げる意志があるならとうに店は空になっているだろう。夕刻にさしかかり、人も随分と減ってきている。
 だが、店の扉を叩いたラウルは、中に人が居ることに気付き眉を顰めた。
「いらっしゃい」
 以前見たときと変わらぬ、どこか気怠げな女店主だ。
「――まだ、残っていたんですか」
 王都では、特別機動隊第二隊は嫌われ者の部類に入る。貴族からは莫迦にされ、住民からは貴族の狗だと眇めた目で睨まれる。深く関わることとなった者達の理解を得ることはできていても、そうでない大多数には相変わらずの認識だ。
 だがこの薬屋の店主は、そんなラウルたちに普通の客と変わらぬ態度で接していた。それ故にラウルは、彼女ならばさっさと店を畳んでいるものと思いこみ、結果に落胆したのだ。
「おや、薬が必要って顔じゃないね」
「店は、閉じないのですね」
「そうさ、おかしいかい?」
「何故ですか」
 問いながら、違うな、とラウルは思う。これでは、ラウルの考えを押しつけていることになる。なかなか、アルベルトのように上手くはいかない。


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