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 だが店主は、まだ若いラウルのそんな態度には引きずられないようだった。
「何故って、こんな時だからこそ、薬を必要とする奴らがいるからさ」
「でも」
「私は、薬屋だよ」
 語尾を重ね、店主は低く告げる。
「身分制度には反対さ。けど、反対する奴らが全員、ろくに店も開けないような三等民になって、どうするんだい?」
「……それは」
「アタシは貴族の坊ちゃんどもに諂って媚び売ってでも二等民になるよ。そりゃ、とっとと出てった知り合いには恨まれるだろうね」
 言いながら、楽しげに女は顎を反らす。
「いいかい、アタシは薬屋だ。必要なときに必要とする奴らに売る。その為には何だってするさ。坊や」
「……」
「努力や根性だけではなんともならないこともあるもんさ。判ったら、他の奴らを助けに行ってやりな」
 店主の言葉に、ラウルは俯いた。
 ――なるほど、正しいことはひとつではない。彼女は世間から見れば己の保身だけを考える悪女ということになるのだろう。彼女の行動は広まっても、心までが同時に伝わることはない。
 そうしてラウルには、そんな彼女を説得する言葉など持ち合わせていなかった。
「店主――」
 ただ、小さく呟く。
「夜半、日付の変わる前に、家を出てください」
「……?」
「広場に、周囲に何もないところに行って、城を見上げてください。お願いします」
「なんだい、それは」
「言えるのはそれだけです。お願いします」
 目に力を込め、ラウルは真正面から店主を見つめた。何度も瞬き真意を探るようにした店主は、しかし数秒のち、諦めたように緩く首を横に振った。
「判ったよ。よくわからないけど、判った」
「お願いします」
 そうしてラウルは、店を後にした。扉を閉めてそこに凭れ、ため息をつく。
(どれだけ頑張っても、限界はある、か――)
 かつてのアルベルトの言葉が脳裏に響く。
 だが、そうして感傷に浸っている暇はなかった。
「っ、やめてください!」
 思考の海に沈みかけていたラウルは、悲痛な声にはっと目を見開いた。――そうだ、ひとつのことに考え込んでいる場合ではない。
 慌てて周囲を見回せば、通り過ぎる人々がちらちらと見遣っている方がある。
「それは父が勝手に決めたことです! 私たちは……!」
「おかしいなぁ、君の父親は、一家全員と言っていたんだけどな」
 聞き覚えのある声に、ラウルは弾かれたように土を蹴った。
(あれは、第一隊の!)
 薬屋を離れること少し、右に回ってすぐの所でそれは起こっていた。関わり合いになりたくないのか野次馬もなく、ただ通りがかる者が気にしながら俯いて去っていく。
「二等民になりたいんだよね。一家の全財産差し出すって言われたから取りに来たんだけど」
「む、娘たちは商品ではありません!」
「子供は財産なんじゃないか? あの場に商品と共に立ってたよな。それとも、貴族をたばかる気か?」
「そんな、しかし……!」
「なら、とっとと付いて」
「そこまでだ」
 割り込み、ラウルはディエゴの前にいた女三人を下がらせた。
「人間を商品扱いするなんて、この国では奴隷制度はなかったはずだけど、僕の記憶違いだったかな?」
「貴様は……!」
「久しぶりだな。てっきりあれで引きこもったのかと思ってたけど、残念だ」
「!」
 目を怒らせ、ディエゴはラウルを睨む。だが次の瞬間、彼は落ち着きを取り戻したように片方の頬を吊り上げた。
「ふん、まぁいい。どうせ貴様らは明日には奴隷民だ。こんなところでうろちょろしてないで、とっとと尻尾巻いて逃げたらどうだ?」
 愉悦に満ちた笑みを前に、ラウルはす、と目を細めた。
「それとも、あくまで狗でいたいか? それなら新制度が発足したら、お前を俺の家で下水処理に雇ってやるから楽しみにしてな」
「それは、あんたたちの汚水なら、鼻の曲がりそうな酷い臭いを発してそうだな」
 いつになく挑発的なラウルの皮肉に、ディエゴは今度こそカッと顔を赤くして拳を震わせる。
 だがラウルにはディエゴなど、顔を見るのも不愉快な存在だ。屈辱を土台にした怒りなど鬱陶しい以外のなにものでもなく、その感情に従い、彼は離れろとばかりに右手を大きく振るう。
「失せろ、汚物が! せいぜい、神とやらに見放されないように、遜って生きるんだな!」
「貴様!」
「聞こえなかったのか!? それとも一等民になる前にここでくたばるか!?」
「なに……」
 ラウルの気迫に押されたディエゴは、そのまま一歩退いた。彼自身は気付いていないのだろう。ラウルの右手が剣の柄にかかるや、ごくりと唾を呑む。
「今度は、顎だけじゃ済まさない」
「くっ……」
「失せろ!」
 低い声に呻き、ディエゴは憎々しげにラウルを睨みながら身を翻した。ひとりでは分が悪いと思ったのだろう。仮に逆上して襲いかかってきたところで問題はなかったが、余計な争いは避けるに越したことはない。
 手間が省けたと息を吐くラウルに、今度は別の方向から声が掛かる。
「やるじゃん」
 カルロスである。
「お前、以外と口悪いのな」
「隊長さんの影響ですよ」
「……違いねぇ」
 笑い、カルロスは呆然と見ている商人一家に目を向けた。
「ん、なんだ?」
「あの、……その」
「奴らはしつこいぜ? なのに都合の悪いこた、すぐ忘れるめでたい奴らだ。助かったって思うなら、とっとと出て行った方がいいと思うぜ?」
「まったく、その通りですね」
 同意し、ラウルは腰を抜かしてる娘に手をさしのべた。
「逃げてください。これからどうなるか判らないのなら、自由度は高いに超したことはありませんから」


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