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「あ、……あ、ありがとうございます」
「礼は早いよ。いいから、逃げるんだ。自分が我慢すれば一家は二等民になれるなんて莫迦なことを考える必要はないよ」
「は、はい!」
 そうして娘を立ち上がらせ、ラウルは母親らしき女性へと手を渡した。女三人で心細そうにしてはいるが、さすがに最後まで助けきる余裕はない。
「父親は?」
「父は、一旦城に……。私たちにはここで待っていろと。夜までに戻るとは言っていましたが」
「じゃあ、手紙でも書いて。あなたたちは先に避難しなさい」
 女達は神妙な顔つきで頷いた。ディエゴに目を付けられていたらしい娘は、落ち着かぬ様子で母親の袖を引いている。
 とりあえずは問題ないだろうとラウルとカルロスはその場を離れ、歩きながら情報交換を続けた。 
「カルロスさんの方は、どんな感じです?」
「あらかた、保護は済んだぜ? そろそろ限界じゃねぇかな?」
 随分と時間は過ぎ、既に陽は大きく傾いている。
「まぁしかし、貴族どもの強欲なこと。欲ってのは際限ねぇな」
「いい方の欲なら、いいんですけどね」
「ん?」
「ひとりでも多く助けたいって思うのも、欲でしょう?」
「……ま、違いねぇか」
 笑い、カルロスはラウルの頭を撫でる。
 これには驚き、呆れ、慌ててラウルは距離を取った。
「なにするんですか!」
「いや、なんかお前、またひとりで突っ走ろうとしてるみたいだからさ」
 意外にも真摯な目で、カルロスはラウルを見つめていた。
「お前が第二隊の入るようになって、いろいろ変わったからな。前はあんなに、あれこれ深入りすることはなかったんだぜ? ひたすら嫌われモンでさ」
「……」
「影からひっそりと助けて、汚れ役をもぎ取ってでも被害を最小限にするなんて、言ってれば格好いいけど、やっぱ辛いこと多かったんだよなぁ」
 肩を竦め、カルロスは小さく首を傾けた。
「ま、お前がいろいろ言い出すようになって、結局今みたいに貴族の坊ちゃんどもに目ぇ付けられるようになっちまって、いろいろ面倒も増えたけど」
「ええと、すみません……」
「いいや、そんで良かったと思う。お前は苦しかったことも多かったと思うけど、俺とボリスは、少なくともお前が来てくれて良かったと思うぜ?」
 真面目に語るカルロスに、ラウルは顔を赤くした。なにやら、真正面から言われると恥ずかしいことばかりである。
 どうしたのかと思えば、カルロスはラウルに近づき、突然胸に何かを叩きつけた。
「えっ」
 なに、と見れば、一双の革手袋である。
「えええ?」
「正式入隊おめでとう。俺とボリスからだ」
「えええええ!?」
「前に破れてから、新調してねぇだろ」
 途中から暑くなり、ポケットにねじ込んでいた手袋へと目を遣り、ラウルは動揺に一歩後退る。
「なんだぁ? その反応は」
「いえ、その、どう反応して良いか判らなくて。その、嬉しいんですが」
 かっ、と、ラウルは顔が熱くなっていくのを感じた。
「なんて不意打ち、じゃなくて、嬉しすぎるんです。その、幸せすぎて、なんて言って良いか」
「……そうも素直に返されると、反対にこっちが照れるんだが」
 何故かカルロスも頬を染め、なんとも微妙な空気が二人の間を流れていった。
 陽は殆ど沈み黄昏の中にあって、雰囲気もずいぶんと――言ってみればロマンチックなものになりつつある。面はゆく、さすがに耐えきれなくなったふたりは、なんとなしに距離を離していった。
 そして、ふと顔を背けたカルロスが、あ、と声を上げる。
「た、隊長!」
 夕日を背に、のしのしと歩いてくる人影を目に留め、カルロスが大声で呼ぶ。
「丁度いいところに! それじゃ、ラウル、またな!」
「え!? あ、は、はい、ありがとうございます!」
 脱兎の如く去っていくカルロスとすれ違いに、近づいてきたのはアルベルトだ。カルロスの背と立ちすくむラウルを見比べ、怪訝そうに首を傾げている。
「何やってんだ、お前らは」
「あ、いえ、なんでもないです」
 挙動不審な感じに首を横に大きく振るラウルに、アルベルトは胡乱気な目を向けた。だが結局は何も言わず、短く息を吐く。
「まぁいい。それより、どうだ、このあたりは」
「カルロスさんが言うには、だいたい必要なところには手を出し尽くしたそうです」
「そうか」
「隊長さんの方はどうでしたか?」
「貴族どもが抱え込んでる使用人は、粗方逃がせたな。ただ、奴隷根性が染みついてる奴らはどうしようもねぇ。そういうのも選択肢のひとつだろ」
「まさか、ブランカフォルト家とかにも行ったのですか?」
「それは、まさかだ。さすがに手出し出来ねぇよ。そのあたりは、ガルデアーノ将軍たちに頼んでる」
 軍隊の一部も動いていると言うことだろう。
「しっかし、閑散としちまったな……」
「そう、ですね」
 出て行った者が次にこの街に人が戻ってくることがあったとしても、全く違うものになっているだろう。ここで歴史は、一度大きく変わる。貴族達のひとりよがりな身分制度が上手く発足するかしないかはともかくとして、再びこの都が雑多な喧噪と活気に包まれるには長い時間が必要となるだろう。
 思い、なんとなしに街の様子を眺めていたラウルの横で、アルベルトはああ、と呟いたようだった。
「そういや、ラウルはここへ来て一年だな」
 思いがけないアルベルトの言葉に、ラウルは目を丸くした。フェレやカルロスにも言われたことだが、まさか、如何にも大雑把なアルベルトが覚えているとは思ってもいなかったのだ。
「ええと、なんでその話になるんですか」
「あ? お前の返事が淡泊だったからな。お前は違うとこから来たんだったと思いだしただけだ」
 慌てるラウルに、アルベルトは相変わらずの仏頂面のまま、考えるように顎を指で掻く。
「よく頑張ったと何か祝ってやりたいが、参ったな、すっかり忘れてた」
 余計な一言が付けられているあたりはアルベルトらしいと言うべきか。
「まぁ、また今度、盛大に宴会でも開くか。フェレの時もやったことだしな」
「いえいえいえ、とんでもありません! 気持ちだけで!」
「莫迦。俺たちがそれをネタに騒ぎたいんだよ」
 珍しく悪戯っぽく笑い、アルベルトはラウルの髪を掻き交ぜる。


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