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「カルロスあたりとたきつけるから、なんかおねだりでも考えておけ」
「隊長さ……」
「まぁ、それも今を乗り切ってからの話だ」
 動揺するラウルを置いて、そこでアルベルトはすっぱりと話を切り替える。
「まだ逃げ遅れてる奴らもいるだろう。じゃあ、また後でな」
 言うや、忙しなくアルベルトはラウルに背を向けた。あ、という間もなく、彼は去っていく。
 気恥ずかしさと焦りに伸ばしたラウルの手は宙を掻いた。
「……隊長」
 思わず、夕闇に伸びる影にむかい、ラウルは叫ぶ。
「隊長!」
 驚き、アルベルトは振り返ったようだった。だが、逆光に顔がよく見えない。
「隊長! ――僕は、」
 ラウルは、引き攣る喉で精一杯息を吸う。
「僕は、第二隊の一員で、いいんですよね!?」
「当たり前だろ?」
 アルベルトの声は、よく響く。どうしたんだ、と問う声に、ラウルは目を細めた。
「なんでもないです。それじゃ、また!」
 言い、直後、ラウルはその場を走り去る。
 呼び止めるような声が背を追いかけるが、立ち止まることは出来なかった。
(――ああ)
 ため息を吐き、ラウルは強く目を瞑る。

 *

 そうして、完全に闇に覆われた夜。
 あと2時間もすれば日付が変わる、そんな時間帯になっても第二隊は王都の中を走り回っていた。ギリギリの時間になって思い返し、家を飛び出す者が続出したからである。
「城門はあっちです! 前の人を追いかけて!」
 普段であれば、大通りには等間隔にかがり火が設置される。だが今日ばかりはその任務も放棄したようで、普段であれば巡回に回っているはずの兵の姿も全く見かけることはなかった。
 有志がたいまつを持って道の要所に立ち、ラウルたちが大声でそれを知らせに回る。今は近くに見える城門、つまり出口には煌々と灯がともっているので、ここまで来れば迷うことはないはずだ。王城の方は既に式典に向けて目映いほどの光に包まれているため、去る方向だけは間違えようもない。
 時間と視界、条件が悪くなるなかでありがたいのは、貴族達がこぞって城に向かった後だということか。余計な邪魔をするものは今はいない。
「気をつけて! まだ時間はあります!」
 遠くでフェレの声が聞こえる。皆、最後まで頑張っているのだ。王都の城門の外、街道と共に広がる平野部には、かなりの人が集まっている。ただ囲われた街とは違い、遠くへ遠くへ行けばすむだけの話で、増えていく人にはエンリケ達、先に王都を出ていた者達が天幕と宿を提供していた。当然、後から逃げてきた者と先住民のそりが合わない可能性は考慮されており、イサークが示した天幕の貸与条件に、天幕を使用する者の優先順位などがきちんと盛り込まれている。
 王都の民、約3万人。常駐している軍隊の人数を入れての数字であるため、実際に王都から出て行ったのは半数といったところか。地方に実家のある者などは早々に離れているという話が本当であれば、もう少し少ない可能性もある。
「にいちゃん!」
 ふと、呼びかけに顔を上げれば、暗い路地の入り口当たりでトニが手を振っていた。
「これ、差し入れ」
 屈み、彼から渡されたのはパンに野菜と少々の肉を挟んだものだった。空腹を忘れるほどの忙しさであったため殆どを歩きながらの携帯食で済ませていたラウルには、ありがたい差し入れである。
「ありがとう。気が利くな」
「えへへ。父ちゃんが持っていけって」
「……そういや、トニ、君にお母さんは?」
「母ちゃんは死んだよ」
 予想通りの返事に、ラウルは眉尻を下げる。
「どっかの貴族の屋敷で下働きで働いてたとき、なんか失敗して殺されたらしいけど」
「……ごめん」
「謝んなくていいよ。オレもよく覚えてねぇしさ」
 呟き、トニはラウルの横に座り込む。短く息を吐き、ラウルもその場に腰を下ろした。
「いただくよ」
「どーぞ」
 どこに持っていたのか、水筒まで取り出してトニはコップをラウルに渡す。どこか得意げな彼ににくすりと笑い、ラウルはパンを口にした。きちんと調理されたものとは言い難いが、誰かが厚意でくれたものだと思えばそれだけで旨い。
「どう?」
「旨いよ」
「へへ、それ、オレが作ったんだぜ?」
 なるほど、と先ほどの顔を思い出し、ラウルは目を細めた。思わずトニの頭を撫でそうになり、今は汚れていることを思い出して手を下げる。
「トニは、しっかりしてるな」
「そーでもないよ。父ちゃんに怒られてばっかだし」
「怒られたら、その理由はわかってるか?」
「う……うん」
 言われていることを理解はしているが、感情がまだ付いていかない部分もある、といった様子である。だがこの頃の考えは、得てしてそういうものだ。素直に受け止められているうちは大丈夫だろう。
「いずれ、トニも全部判るときが来るよ」
「そーかなぁ」
「そうさ。トニが結婚して、子供が出来て、その子に叱るとき、多分トニはエンリケさんと同じことを言う」
「うわ、何その予言」
「はは、そうだな、十数年後くらいに思い返してみると良いよ」
「そんな先のこと、わかんねーよ」
 唇を尖らせ、トニはブラブラと足を振った。
「明日には、ドレイになってるかもしんねーし」
「大丈夫だよ」
「なんでそう言い切れるんだよ」
「トニが、屈しないと思っている限り、心まで奴隷にはならない」
「……にいちゃんは、時々難しいこと言うなぁ」
 それは、ラウルがアルベルトの言葉に対し思ったことと同じだ。それが経験値の差というものだろう。
 笑い、ラウルは今度こそトニの頭を撫でた。
「なぁ、トニ」
「ん?」


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