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「なに……!?」
「コルシナの辺りから主に東の方へ広がっています! 土砂と流された木が河の狭い部分に溜まり、……、どんどんと広がって……!」
 最後の方は本当の悲鳴になっている。衰える様子のない雨足に、絶望的な状況を想像したのだろう。
 アルベルトはギリ、と奥歯を噛みしめた。
 河の東西を比べれば若干東の土地が低くなっているが、一気に増水した河水の前には同じに等しく、水は満遍なく大地を覆っていくに違いない。畑はおろか、家屋も水に浸かり、住民達は王都の民と同じく住む場所すら失うだろう。濁流に呑まれて命を落とす者も多くいると想像に難くない。
 長い目でみれば、河の水や泥、流されてきたものの浸食を受けた農地から、今後しばらくは収穫が見込めないということも考えられる。国の最大の穀倉地帯は、まさに河に沿うように広がっているのだ。
 壊れかけの低い机を、集まったうちのひとりが叩く。下流域出身の高官は顔を両手の中に埋めていた。王都で生まれ育った者も、先だって故郷の崩壊を目にしているだけに気持ちがよくわかるのだろう。誰しもが重いため息を吐いて椅子に深く沈み込んでいる。
 今アルベルトたちが居る場所は、河に比べて高い位置にある。水がこちらに回ってくることはまずない。だがそれだけで単純に助かったなどとは言えるわけもない。今この瞬間、命の危機に怯えることはなくとも、異変の影響は時を追うごとに様々な問題を増やしていく。まるで、そう、雪玉が雪の坂道を転がり落ちるように。
 同じく、これから到来する冬に向けての厳しい状況を思いやったアルベルトは、そこでふとある任務を思い出した。
(いや、待てよ)
 顎に指をかける。
(西の方は、少しは持ちこたえるのでは……?)
 コルシナは丁度、高くした堤防のあったあたりだ。珍しくも領主からの支援がしっかりとしていたため、結構な強度の堤防に仕上がっていたと記憶している。
(あれがうまく機能していれば、王都寄りの西側はまだ守られているはず)
 ハーロウ国は平地は普通に歩き見回すぶんには文字通り「平らな」場所にしか見えないが、実は海側へ進むにつれて緩やかな傾斜がついている。河の上流域にあたる平野とと海に近い下流域にはそれなりの標高差があるため、より下の地域で浸水し始めた水が上流域に及ぶことはまず少ないはずだ。
(……そうだ、東側の山は、どうなっている)
 開拓村を初めとして、第二隊の面々と村人、避難民たちが道を結んだ村が多くある。アルベルトは、これまでの、特にここ一年で関わった任務の内容を繋げて頭の中に展開した。
(いや、そうだ、開拓村は)
 もともと、コルシナの周辺や河の流域の農民達が強制的に移住をさせられて出来た村だ。
 もし、とアルベルトは思う。
 もしか、そのまま、彼らが村に残っていたら。
(特に東側は、河の氾濫の一番の被害にあっていた……?)
 河の氾濫は、堤防が決壊したあたりが一番怖い。水にの流れが複雑で勢いもあり、人など思わぬところで簡単に流されてしまうからだ。
 もし、東に住民が以前と同じように住み着いていたのなら。豪雨の中、河や周囲のの状況を見に出るものがいただろう。そうしてそういった行動自体が人死にを増やしていたに違いない。
 だが西側はともかくとして、東側には現在あまり人が居ない。救いと言えば、そうというのだろうか。
(偶然、か……?)
 その時、アルベルトが開拓村の状況を正確に知ることが出来たのなら、その考えを決定的なものとすることになっただろう。


 嵐も地震も、同じく山の麓を襲っていた。状況的には、何もない平地に避難していた面々よりも悪かったと言える。
 豪雨、そして度重なる余震により、人の居ない山の奥地では、地滑りが発生していた。そしてそれにより出来た天然ダム、あっという間に溜ってゆく水、そしてその崩壊。それらの災害が早送りのように起こったことを、突如起こった異変に震える村人達が知り得なかったことは、むしろ幸せだったと言うべきか。
 だが、そうした幾つもの要因が重なって発生した土石流は、勢いを持って村の方へとなだれ込んだ。それは、本来であれば、そのまま村の全てを押し流していただろう。
 ――そう、本来であれば、目の前に迫った土砂の脅威に、村人は震えながら呟くこともなく。
「畑が……」
 目の前の状況に、集まった幾人もの村人達が気の抜けたように座り込む。
 山の急斜面を滑り、傾斜が緩くなった後も雨と地震により押し流されていた土砂は、背の高い、頑丈なキーナ畑の半ばで堰き止められていたのだ。
 植える作物をキーナに決定した時点で居住区は山の裾の方に移し、畑はその山側に作られた。それが、幸いしたとしか言いようがない。
「……助かったのか、俺たちは」
 誰ともなく、呆然と呟く。だがむろんのこと、脅威はそこで終わるとは限らない。
 互いに抱き合い、手を握り合う人々の中で、いち早く我に返ったのはスハイツだった。
「皆、避難の準備をしろ! 荷物は最低限でいい。いや、むしろ身を軽くしろ! 埋まっても、後で掘り出せるように地下収納庫に大事なのは入れとけ! 逃げるぞ!」
 言葉に、集まっていた全員が慌てて動き出す。

 *

 ようやく、雨も小降りになった夕方、アルベルトは疲労に重くなった体を、もとは城門だったはずの瓦礫の上に預けていた。まだ、軍の出身者以外には王都内への立ち入りは認められていない。今も所々で何かが崩壊する音が響いているような状況だからだ。
 崩れ去った王都の中にも、むろん生き残っていた人々はいた。運良く家から出ていた者や、柱の間に出来た空間に身を潜めていた者、誰かに庇われて九死に一生を得た者など、それなりの人数にはなっている。
(これだけ広い王都で、あれだけの人数……)
 だが、少ない。
 それでも、彼らを保護し、皆が避難している場所に誘導するときは、どこか安堵に似た感覚を覚えるのも確かだ。瓦礫の下に動かない人体の一部を見つけるときほど、肝の冷える話はない。
「隊長」
 同じく疲れた様子を滲ませ、声を掛けてきたのはカルロスだ。先ほどまでは喧嘩の仲裁に向かっていたのだが、ここへ来たと言うことはそれも落ち着いたということだろう。恐慌状態が一段落すれば、悲嘆のあまりに周りが見えなくなる者も出始める。以前からそういったもめ事に慣れている第二隊が鎮静に向かうことになるのは、適材適所と言うべきか。
「どうした? 少しは休んできてもいいぞ?」
「いえ、……隊長に話が」
「?」
「ラウル、いないっすよね」


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