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*これ以降、地震を含む災害の表現があります。そういったものに忌避感のある方は読まないようお願いします。
そういった方はこちらから該当箇所を飛ばしてお読み下さい。

 10.

 その国は、神に守られた国だった。
 あらゆる災害はその国を避けて通り、外敵は不可思議な力で退けられる。やがて諸国はそこを侵略することを諦め、その国は平和を当たり前のように享受することに慣れていった。
 そうしてその時には、最後に干ばつが、地震が、洪水が起こってから、実に数百年が経過していたのである。


 故に、人々はその時、何が起こったのかすら判らなかった。
「――地震だ!」
 叫んだのは誰か。
 それを初めて経験する者が大半を占める中、他国を訪れそれを知っていたアルベルトは、知っていたが故に更にその揺れの強さに恐れおののいた。
 大地が唸り、あちこちでテントの崩れる音がする。悲鳴、泣き声、意味もない罵声、それらが耳に入らないほどの驚愕とそれらを上回る轟音が人々の混乱に拍車をかける。剛胆で鳴らしたアルベルトでさえ例外ではなかった。
 何分、何十秒続いただろうか。
 やがて揺れが収まった時、立っている者はひとりもいなかった。誰もが大地に伏せている。ただただ、近くにいる者と抱き合い支え合うしかできなかったのだろう。
 終わったのか、とそのうち誰かが呟いた。それに合わせて恐る恐る人々が顔を上げる。アルベルトは己を叱咤し、小刻みに震える腕で一番に身を起こした。街を追い出された者に対し、追い出した立場からの責任が恐怖を押しのけたのだ。
 だが周囲を見回し、そこにあるはずのものがないことに気付き、彼は呆然と呟いた。
「……街が、消えてる」
 目を見開き、信じられない光景を彼がまず疑ったのは致し方ないと言えよう。
 それほどまでに見事に、城壁を初めとして、繁栄の象徴とも言えた王都の建物が崩壊していたのだ。むろん全てではなく、高さを残すもの、折り重なって崩れ形の殆どを残すもあるが、いずれも元の形をとどめてはいない。そしてそれは、王城ですら例外ではなかった。
「私の家が……」
「城が……」
「なんてこと……」
 力なく呟く声が移動し、ふらふらと数人が立ち上がった。虚ろな目は瓦礫の山に向けられたままで、足取りは頼りない。
「近づくな! まだ揺れる可能性がある!」
 咄嗟にアルベルトは叫ぶ。彼らを守らなければならない、などと思うような余裕があったわけではない。だがかつての経験の際に聞いたことと、その時感じた恐怖が彼を突き動かした。
「また揺れれば、今残っている建物が倒壊する恐れがある。まだ近づくな。それに、火の手が上がっている」
 指させば、ほぼ全員がその方を向いた。ああ、とため息が唱和となる。
 城門、そして栄華を誇った王城のあったあたりは、遠目にも判るほどの炎が立ち上っていた。一方は街の者の出て行く先を示すため、残りは享楽のため、眩しいほどの灯に埋め尽くされていた場所である。
 夜の闇の中に、眩しく映し出される絶望の表情。アルベルトは自分を落ち着かせる為に深く呼吸を繰り返した。
「それよりも、今の内に怪我人を集めるんだ。テントの下敷きになった奴もいるだろう」
「あ、……ああ」
「街の中にいなかったのはこの際幸いだ。生活に必要なものも持って出てるだろう? 今は怪我人を助けて、そんで朝まで待つんだ」
 具体的な指示を出せば、人々の顔に幾分色が戻ったようだった。暗がりにそれを認め、アルベルトは安堵に息を漏らす。
「……隊長」
 震える声に振り返れば、そこにはフェレが青ざめた顔で立っていた。
「指示を、お願いします。すみませんが、僕にはどうしていいか……」
「ああ」
 頷いてはいるが、アルベルトも内心では途方に暮れている状態である。
 貴族に対抗するためにどうすればいいのかは考えていた。多くの避難民をどうすれば助けることが出来るか、思いを同じくする将軍達とも話し合った。
 だが、これはあまりにも予想外だ。そうして、背を震わせる。
 ――もし、ここにいる全員が、王都に居たのなら。
 あの崩壊の具合からして、殆どの者が助からなかっただろう。そう思えば、貴族たちの発した愚策がまるで天からの啓示であったように思えてくるというものだ。
 そこまでを考え、アルベルトは緩く首を横に振った。――莫迦げている。
 それならばまず、天は貴族達を避難させていただろう。であるにも関わらず、おそらく彼らの殆どは、崩壊した王城と運命を共にしている。
 緩く頭振り、アルベルトはフェレと共に指導者となれる人物たちの安否を確認に回った。幸い、怪我人は少なからず存在したが、死者は今のところ出ていないようだ。
 そうして、幾人かの著名人と言葉を交わし、今後のことを話し合うべく集まりかけた頃。丁度、最初の地震が起きてから一時間程度の頃だっただろう。
「……雨だ」
 ふと、アルベルトは誰かの小さな呟きを拾った。
 いつの間にか藍の空を濃い灰色に染めた空から、ひとつふたつ落ちてきたものがアルベルトの頬を叩く。そうして天を仰いだ彼が、雲の流れを見る暇もなかっただろう。
 ものの十数秒。最初の一滴から構える間もなく、雨は嵐へと変化を遂げた。
「身を寄せ合え! テントを数人で持って被るんだ!」
 叩きつける雨の間から、アルベルトは叫ぶ。
「フェレ、予備の天幕を広げさせろ! 組み立てる必要はない、数人まとまって頭からかぶれ!」
「は、はい!」
 引き攣った声を発しながら、フェレは嵐の中を走っていく。濡れる、ということを気にする段階は一瞬のうちに去っていた。あまりの雨の勢いに痛さすら感じ、暴風に足を踏ん張らなければならないレベルである。
(これは、どういうことだ?)
 天災から守られた国ではなかったのか。
 常人であれば立っていられないほどの雨風を受けつつ、状況を見定めるためにアルベルトは避難した人々の間を歩き巡った。
(あまりの愚策に、天が貴族どもを見放したのか?)
 そう考えれば、妙に腑に落ちる。
 だがそうだとすれば、これからどんなことが起こるのか、考えるほどに恐ろしい。
 悲鳴、そして再び起きた地震に戦慄を覚えつつ、アルベルトは唇を引き結んだ。


 そうして、その予感が当たったと知るのはそれから僅か6時間後。
 一向に止む様子のない雨を睨みつつ、嵐と言うほどの勢いが消えつつあることに安堵し始めた頃、その悲鳴にも似た報告はアルベルト他、将軍ガルデアーノを初めとする著名人の集まる天幕に響き渡った。
「報告します! 河が、河の水が、……下流域で堤防が決壊した様子です!」


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