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 低い声に、アルベルトは片方の眉を上げる。むろん、気付いている。気付いていながら、あえて考えないようにしていたことだ。
 そんなアルベルトの反応を見て、カルロスは微かに笑ったようだった。
「実はさっきトニが、隊長のことを捜してたんです」
「?」
「これ、ラウルからの預かりものらしいです。22時ごろに、王都内で預かったって」
「……どういうことだ?」
「知りません。隊長宛らしいので、俺が読むわけにはいかんでしょう」
 もっともなことだ。
 怪訝な顔をしながらアルベルトはカルロスからそれを受け取り、手にとってじっと眺めた。汚れ、形も歪んではいるが、中に紙が入っているらしきただの封書である。大事に持っていたのか、濡れてはいない。
 僅かに躊躇った後、アルベルトは思い切って封を切った。特に仕掛けはなく、一度首を傾げて間を空ける。そうしてようやくのように傾ければ、中から一枚の紙が手の中に落ちてきた。
「なんです?」
 さぁ、とばかりにアルベルトは白い紙を表に返す。そうして、彼はあ、と小さく息を呑んだ。
「権利書?」
 カルロスもまた、紙片を凝視した。彼の言葉は正しい。それは、国が正式に発行する土地の権利書だったからだ。土地の購入や譲渡には必ずついて回る物であるため、見慣れない、というほどのものではない。
 だが、アルベルトは額に冷たい汗を滲ませる。詳細を読み進めていくうちに、更に顔からは血の気が引いていくようだった。
 何故ならそれは、土地の権利書としてはあり得ないほどに規模の大きなものだったからだ。概算すれば国土の約十分の一、地方ひとつ分にあたる。そしてそれは、王都から北東に位置する土地であり、中に離宮を含む場所だった。
 気付いたカルロスもまた、顔の色を無くす。この権利書が本物ならば、アルベルトは離宮全体の所有権を主張することができるほどのものなのだ。大概のことには慣れている彼らが言葉をなくしてしまったのも、無理ないことと言えよう。
 十数秒、数十秒を経て、衝撃からより早く立ち直ったのは、アルベルトの方だった。はっと我に返ると共に立ち上がる。
「わ、隊長!?」
「行ってくる」
「え? ――今からですか!?」
 どこに、とは問うまでもなかったのだろう。慌て、引き留めるカルロスの声を背中で聞きながら、アルベルトは軍の馬が繋がれている場所へと急行した。
 彼の頭の中には、朝まさに考えていたことがぐるぐると回っている。
「アルベルト!? どうしたんですか?」
 イサークだ。
 丁度軍の元幹部と話し合っていた彼が、驚き、見張りの兵を押しのけるアルベルトへと駆け寄った。
 よほどの形相をしていたのだろう。大概の顔には慣れているイサークですら、一歩二歩、威圧に屈するように引いているようだった。
「行く場所がある」
「行くところって、……こんなときに何を!」
 カルロスとの遣り取りすら知らないイサークである。この反応は至極当然のものだ。だがアルベルトは、そんな彼の制止にも思い直すことはなかった。
 そうして、強引に馬を借り、次第に暗さを増していく山道をひたすらに進む。
(ラウル……)
 弱くなった雨に打たれながら、アルベルトは思う。
(お前は、まさか)
 あり得ない。だが、この前の一年の間に起こったことが、この長すぎる一日で得た全てのことが、ひとつの結果へと導かれてしまう。
(そうだとしたら、お前は――)
 低く、激しく、森の中はざわついているというのに、何故か自分の音が一番強い。荒い呼吸、心拍、そして何度も喉が鳴る。
 答えを急いでいる。だがどこかで迷っている。そう迷ってしまえと思う時に限って、闇に慣れた目は正確な道を映し出す。
 宵を過ぎ、日を跨ぎ、灰色の昼とより深い夜を越えて辿り着いたのは明後日の未明。全身が悲鳴を上げ始める頃、アルベルトはその門の前で馬を止めた。
「……パオラ・ウルツビラ」
「久しぶり、と言っておこうか」
 思いも寄らぬ出迎えに、アルベルトは震える手を自覚した。それを目に留め、パオラは少しだけ片方の頬を上げる。
「少し、休むか?」
「いや、これは、違う」
「そうか。では、中へ。……私は単なる、案内人だからな」
 頷き、アルベルトはそこにいたもうひとりの人物に馬を預けた。丁寧に、いっそ恭しく引き取った所を見ると、もともとそういった仕事に携わっていた従者なのだろう。
 パオラの先導で離宮の中に入ったアルベルトは、更にその奥で、また別の女が立っていることに気付き瞠目した。
「お待ちしておりました」
「あなたは……!」
 間違えるはずはない。かつてラウルを迎えに行った時に挨拶をした、ハーロウ国王妃エレアノールである。
 慌てつつ、アルベルトは反射的に膝をつく。その肩を叩き、エレアノールは苦笑したようだった。
「王宮が、いえ、国の基盤が崩壊した今、それに何の意味がありましょう。ひとまずはこちらへお越しください」
「私が、ですか」
「この離宮の持ち主は、今はあなたでしょうに」
「いえ、これは」
「彼が預けたのなら、それはあなたのものです。行きましょう」
 言い切り、目を伏せたままエレアノールは歩き出す。アルベルトは呆然と、彼女に促されるままに離宮が建設されていたはずの場所へと足を踏み入れた。
 夜は未だ明けず、雲は足早に空を流れている。だが、いくつか立てられたかがり火が、朧気に離宮の中を映し出していた。
「ここに被害は……」
「ありません。崩れているのは、どうでもいいものばかりです」
 どこからか持ち込まれたのだろう、かつては美しく仕上げられていたと思われる彫刻も、蔓植物の絡みついていたアーチも、全て壊れ雨と泥にまみれているが、確かに、なければないで問題のないものばかりであることには違いない。
 中には道の上に倒れているものもあったが、おおかた、目に付く範囲は片付けられている様子である。随分と被害が些少だと思えば、自然、アルベルトの眉間に皺が寄った。
「このあたりの地盤は固いのだそうですよ」
 アルベルトの思考を読んだように、エレアノールは笑う。
「どうぞ、こちらへ」
 ようやくのように足を止めた彼女が示したのは、扉ばかりの小さな建物である。
「地下に通じております」


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