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 言いはするが、扉の中は完全な暗闇だ。入れと言われて疑いなく先に進むほど、アルベルトは従順でも単純ではない。
「地下には、何があるのですか?」
 警戒心も顕わに問えば、エレアノールは苦笑したようだった。たいまつの火が、振り向いた彼女の知的な横顔を照らし出す。
「食料貯蔵庫です」
「!」
「ここには、主に今年の収穫物とここ数年のうちに集められた穀物と、それらを処理して作った保存食があります」
「数年……?」
「未曾有の災害に備えての、備蓄です」
 備蓄、とアルベルトは呟いた。その考えそのものは、この国では既に形骸化していたはずだ。豊作に次ぐ豊作、誰もが余剰を危機に備えて残す、ということを忘れていたはずだった。
「あなたはこの宮の新しい主です。どうぞ、ご自由にお使い下さい」
「いや、これは、しかし……!」
「先ほども申し上げましたが、託されたのであれば、権利書はあなたのもの。それをして得るものも同様です」
 あまりの展開に、アルベルトは再び呆然と立ちつくした。
 貯蔵庫の大きさからすれば、生き残った国民の食事を半年、否、節約すれば一年は賄えるだろう。
「そして、この鍵を」
「……これは?」
 嫌な予感を覚えつつ、アルベルトはエレアノールの差し出した鍵を睨み付けた。瀟洒な飾りの付いた、それだけでひとつの価値がありそうな代物である。
 その警戒に対し、エレアノールの返答は案の定と言うべきか。
「この宮に移された、宝物庫の鍵です」
「莫迦な!」
 思わず、アルベルトは地の言葉で叫ぶ。
「それは王家のものだ。そんなものを、俺に預ける気か!?」
「――王は崩御しました」
 感情を抑えた声に、アルベルトははっと息を呑む。
「神との契約は切れ、王家はその役割を終えました」
「神……?」
「初代国王は、神と契約したそうです。この後10代に渡り、この国に安寧をもたらすようにと」
 それは建国神話の話だ。そう言おうとしたアルベルトを遮るように、エレアノールはす、と顔を上げた。
「この国が、何故末子相続であったか、考えたことはありますか?」
「――いや」
「少しでも、安寧を長くするためです。長子相続の場合、在位期間が短くなりますから」
「……なるほど」
「もっとも、先の国王は一粒種であったため、それとは関係なくわずか10歳で即位することとなりました。そのときに、国王エルラウルは、神の言葉を聞いたそうです」
 エルラウル、そう呟き、アルベルトは頭から血の気が引いていくのを感じた。同時に、直接仕えているはずの主を愚鈍と侮り、知ろうともしなかったことを彼は激しく後悔した。国王自身が敢えて公表も広めもしなかった可能性も高いが、いずれにしても今更詮無いことである。
 間を空けて、エレアノールは話を続けた。
「神は国王に、彼が10代目であることを告げました。そうして彼が死んだ後にこれまで神が押さえ込んでいた数々の天災が降りかかるだろうと。故に、国王は問うたのです」
「何を」
「何が起こるのかを」
 アルベルトの心臓が、これまでにないほど高い音を立てた。どんな窮地でも凄惨な殺し合いのまっただ中でも、これほどの動悸は感じたことがない。
 干上がる喉を無意識に押さえ、アルベルトはエレアノールの顔を凝視した。
「……先を知ることが出来たのなら」
 掠れた声が、優しい嘘を求めてあえぐ。
「何故、皆に伝えなかった」
「伴侶となり国王と同等となった私以外には、話すことが出来なかったのです。そして私も同様に」
「何故、貴族どもの好きにさせた。それほどのことを知ってるなら、長い年月を掛けて、やりようがあったはずだ」
「10年。それが国王に与えられた猶予だったと聞いています」
「では何故! その短い間の貴重な時間に、貴族どもの横行を許した! 何故、嘘をついてまで俺の部隊に入ってきた!」
 叫び、アルベルトは拳を震わせた。
 ――そうだ。理不尽な仕打ちを許したのも同然だ。幅をきかせた貴族は己の欲に従い民を迫害し、結果的に王都の崩壊と共に消えたとは言え、身分制度などといった無茶苦茶な案で惑わせた。
 何も知らないふりをして隊に入り、自分が現場で動かずとも、勅命を出せば良かったはずだ。
 彼の目と手、それらを静かに交互に見遣り、エレアノールはふ、と小さく息を吐く。
「それほどに王家の力は落ちていたのです」
 始祖から10代。末子相続であることの影響が出たと言うことだろう。まだ小さな子供を補佐する役目はいつしか代行の名の下に権力を恣にした。その集大成が「副王」だったとも言える。
「時間もなく、力もなく、故に国王は、後見人の貴族をそそのかすことで、出来るだけのことをしようとしたのです。ですが、具体的に命じられるわけではありません。自分の言葉がどう判断され、どういう形となって民へ影響することになるか、彼は自分で見て正すことを選んだのです」
「王都から民を追い出したことも、開拓地へと追いやったことも、全部か?」
「はい」
「判らん……」
 アルベルトは額に手を当て、緩く頭振った。
 否、本当は、判っている。貴族の利益になる、或いは貴族が好んで乗りそうな愚策を敢えて出すことで、災害よりおこる大量の人の死を避けたのだ。そしてそれは開拓地も同様に。
 キーナはおそらくは冷害を乗り切る新しい穀物として、そして市場の閉鎖により作られた道は人々を繋ぐ新たな道として、今後大いに活躍するのだろう。主に河沿いに発展してきたものが再び元に戻る日まで、それらは国民の命綱となるはずだ。
 泣いていたな、とアルベルトは思う。――彼の予想を超えた貴族の暴虐に、彼は打ちのめされていた。
「彼が何を考えていたのは、私にも正直判りません」
 アルベルトがそうして思い返している間にも、言葉は続く。
「ただ、ひとつだけ」
 エレアノールはそこで区切り、思い出すように息を吸い込んだようだった。
「奇跡に頼るなかれ、未来は日々のその先にあると。そう、彼はよく言っていました」


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