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 エピローグ.


「あー、やっぱりここにいた!」
 ふと、遠くから響いた声に、男――アルベルトは顔を上げた。
「ちょっと、もー、隊長! 何ひとりでこっそり来てるんですか」
「隊長はお前だろう」
「俺の中では団長は永遠の隊長なんです」
 顎を反らして笑い、近づいてきたのはカルロスだ。彼のはるか後ろにも数人の人影がある。
 大きな荷物を持っているのはボリス、彼を手伝っているのはフェレだろう。更に後方で周囲に目を配っているのはトニだ。
「なんだ、あれは」
「弁当と慰霊碑です」
 何故か威張るようにカルロスは鼻を鳴らす。何度か瞬き、空を見上げてアルベルトは胡乱気な声を出した。
「弁当は判るが、なんでお前らがんなもん持ってくるんだ?」
「あー、なんつうかですね、未だに怪談じみた噂が消えないからです。呪われた廃墟だとか、夜には貴族どもの霊魂が浮いているとか」
「ばかばかしい」
「そう言い切れるのが少ないから、こうなってるわけです」
 なるほど、とアルベルトは苦笑した。
 王都の崩壊から20年。実に様々なことが変わり、国は根底から作り直されたような状態になっている。
 降るが如き天災は主に最初の1年に、それから5年ほど干ばつや冷害などが繰り返された。地震は二度ほど、洪水は三度、大火災が一度。その間に作られる食物は大きく変化した。もともとハーロウ国で主となっていた作物は、天候気候の変化に敏感なものばかりであり、過酷な環境に適応できなかったのである。
 他国からの侵攻もあった。それについては元王妃エレアノールの母国の援助や忌むべき天災に反対に助けられて事なきを得ている。大陸の端に山に囲まれてぽつんと存在する国に、そしてそう豊かとは言えなくなった国に、そう魅力がなくなったということもあるだろう。
 身近なところではアルベルトは半白髪となり、カルロスやボリス、フェレの顔にも皺が刻まれた。子供だったトニが、今では立派な青年となり軍人として活躍している。旧体制の崩壊後に生まれた子供達も既に二世代目だ。
「イサークはどうした?」
「あのですね、大隊長クラス3人が一気に勝手に休みを取った日に軍部トップが消えたら、さすがに司令部参謀には縄が掛かるでしょう」 
「あいつが抜け出せなかったのか」
「無断欠勤が何を言ってるんです。今頃頭から湯気出してるはずですよ」
 俺は休暇届受理されてますけど、とカルロスは澄まして言う。アルベルトにしても、好きで無断欠勤したわけではない。許可がおりなかったが故の強行突破だ。
「――報告したかったんだ。仮政府が解散になって、議会が発足するってな」
「まぁ、そうですね。まったく、長かったような、短かったような……」
 カルロスが肩を竦めるのも仕方がない。
 国が落ち着き、国の新しい制度や法が整うまで、実に20年の歳月を必要としたのだ。その間ずっと、アルベルト他、かつての体制下で著名だった人物が中心となって指揮を執らざるを得なかったのは、それほど国の混乱が凄まじかったことの証拠と言うべきか。
 そこでようやく追いついた三人が、批難するようにアルベルトを見遣った。
「黙っていくなんて、酷いですよ」
「同感」
「護衛を撒かないでください」
 フェレ、ボリス、トニの順である。カルロスを入れて四方から責められ、アルベルトは降参するように両手を上げた。彼も年月を経て、丸くなった自分を自覚する。
「それより、慰霊碑なんざ、いつ作った?」
「作ってませんよ。本体はただの箱です」
 フェレが苦笑する。ちらりとカルロスを睨み遣ったアルベルトは、続くボリスの言葉に目を丸くした。
「中に、旧王都で亡くなった人への手紙や遺品、そういうものが入ってます。それを埋めて、小さな碑を立てるようにとのウルツビラ法務官のお達しです」
 旧王都は不穏な噂のあるなしに関わらず、立ち入り禁止区域に指定されている。いずれはそれも解除され新たな都市の礎になるだろうが、今はまだ手つかずの状態で放置されているのだ。
 そんな、故郷に思いを残す人々の心を埋めようと言われてしまえば、アルベルトに断る理由はない。
「でもまぁ、とりあえずはお弁当ですね」
 笑い、フェレは持っていた包みを掲げる。
「……っつうかそれ、誰が作ったんだ?」
「参謀どのですよ」
「え? マジ? うわ、急に食欲が……」
「あいつは俺らのおかんか」
「誰ひとり、作ってくれるような人が居ないのが悪いんじゃないですか?」
「お前が言うな! お前だって同じだろうが!」
「落ち着いたら結婚しようと約束してる相手、いますが?」
「……マジか」
「マジです」
 余裕の笑みを浮かべるトニの横で、我関せずとばかりにボリスが早くも手を合わせている。
「いただきます」
「おいこら、ボリス。……ああくそ、旨そうなのが微妙だ」
 男5人、晴れた日に廃墟で仲良く弁当を突く。なかなかに笑えない状況だ。
 だが、誰ひとりとして本気で嫌がる者はいない。こんな暢気なことができるのは、素晴らしいことなのだ。 
 この20年、本当に多くの人が亡くなった。これがかつての何百年のツケだというなら、貴族の専横による迫害よりも遙かに理不尽だと言えよう。
 国は確かに、変革期の危機、その大きな山をひとまずは乗り越えた。だが、と思う。特に最初の三年は厳しかった。離宮に残された備蓄と他国に売り払い食料を買うだけの価値のある宝物がなければ、国民の半分は飢えて死んでいただろう。軍の備蓄として購入された数々の物資も人々の生活を支えたが、それでも圧倒的に物資は不足した。
 その中で、開拓民や東部の農民、王都からの難民があの一年で僅かにでも培った、困難には立ち向かえるという思いがなければ、そこで国は止まっていただろう。
 数にして僅かな人々の活発で前向きな取り組みは、それを見る者に希望を与え、やがてそれは国中に広まっていった。それは、国を動かす立場となってしまったアルベルトたちにとっても救いだった。
 ハーロウ国第十代国王エルラウル・ハロウ・エルデスは歴史上、天の怒りを受け国を滅びへと導いた最も愚かな王として名を残すだろう。だがそれでいいとアルベルトは思う。一握りの者が権力を握る愚かしさを伝え、ハーロウ国から専制政治を永久に排除する強い理由となったのだから。それは、最後の国王が望んだことなのだから。
 広い世界、小さな国に、彼は安寧の代わりに生きる力を与えた。そう、思う。
(ああ、――でも)
 空を見上げ、アルベルトは眩しさに手をかざした。
(ひとり足らないと、そう思うことくらいは許して欲しい)
 信じてはいない。だが輪廻というものがあればいいと、時々そう考える。
 もしももう一度会えるなら――
「隊長、食べねぇんなら、全部もらいますよ」
「……お前は、感傷というものを知らんのか」
「知ってますよ。でもそれを癒すには、よく食べ、よく寝て、よく働いて、未来を作ることが必要なんです」
 アルベルトはぽかんと口を開けた。成長期の子供を言い表すような言葉だ。とても、50前後の男同士で交わす言葉ではない。
 だが、と彼は笑う。そうだなと。
 
 ――きっとそうして、この国は次の時代へと繋がっていくのだろう。

楽園の虹 了

あとがき



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